2016年10月9日日曜日

日々の記録7(西加奈子、白川静、百名山走破、減少の恐さ、中国事情変化、 ingress 、ジビエ料理、蓬莱橋、1979年)

朝から茜色の朝陽が小さな雲と一緒に見えていた。
比良の山は白い雪帽子が頂上の稜線と空の間に残っているが、少し前の黒々とした
木々のまといとは違う姿を見せている。薄ぼんやりと薄いベールを被ったような
山並がこれもやや薄れた蒼さの見える空とそれを取り巻く春の陽光の中に悄然と
立っている。今年初めて見せるその姿は、それだけで春の訪れを告げている様
でもある。
少し視線をずらせば、いつも見えるはずの湖の蒼さも対岸にある山並もその
ベールの中に消えている。存在するはずのものがそこに見えないと言う感触は、
自分の存在さえ否定されているようでなにか不思議な思いに駆られた。
しかし、この身体にまとわりつく心地よき温かさと柔らかな日差しは間違いなく
春が我が身にもにじり寄ってきている事を感じさせ、家の前を行きかうお年寄り
の顔にも冬の間見られた固く黒ずんだ陰りが柔らかく赤みを帯びたそれに変って
いた。皆が新しい光の中で、生きていた。

雲が全てを覆い隠していた。
比良山の頂のいまだ残る雪もまったくその雲の中に隠れ、わずかに杉の木立ちが
山の瀬戸際を切れ切れの底から顔を出している。湖も一番手前の砂浜をわずかに
見せる程度で立ち尽くす雲の群れの中に隠されていた。


居酒屋のグローバル化
日本独特の居酒屋が世界に広がっている。
元々、江戸時代より酒屋が始めた一杯飲み屋が源流である居酒屋も、そのメニュー
の多さ、安さ、美味しさから大手チェーン店を中心に伸びてきた。
それが小泉さんとブシュ大統領の非公式な付き合いで使われた事から世界的にも
IZAKAYAの名前で広まってきた。
国内では、家庭、会社、そして第三の場所としてノミニケーションを通じた
憩い、癒しのための空間として活用されている。
しかし、外国における居酒屋のコンセプトは少し違うようだ。
外国の場合は、一緒に行くのはほとんど友達が中心であり、会社の同僚や上司と
いくという日本の場合と大きく違う。さらに、外国では美味しくて安い料理を
静かに味わうのが基本であり、日本の様に馬鹿騒ぎをして上司や会社の不満
や愚痴を言う事はない。日本の家、会社がその人間にとっての一体化した
ものである日本の文化土壌と個人主義の確立した欧米などとの違いがそこ
にあるようだ。


岡山県真庭市勝山に暖簾街道と言うのがある。
この地域は昔は、町を流れる旭川を使って地域の特産品を瀬戸内海側に届けたり、
水運業が盛んであった。しかし、鉄道の発達により今はその面影はない。
19年前に地域の若者が町を活性化する目的で、暖簾を多くの家でかけようと
活動を始めた。いまは、700メートルある街道の家々には夫々想いを
こめた暖簾がかかっている。鬼、トマト、川の風景など様々な色合いと
模様が町全体に風情を見せている。


武田鉄也の漢字紹介のテレビを見た。
自身の人生分岐点で、それに相応しい漢字1字をその漢字の意味から
解きほぐすものである。
親、戯、懐、可、初、歌の6つであったが、中々に興味ある内容である。
この解釈は「白川静」と言う学者が古代文字をその成り立ちや背景から
解釈したものである。
人生の振り返りでそこに漢字1字を当ててみるというのも面白い発想である。
例えば、歌の場合は、可が左に二つあり、これは神への供え物を現し、しかも2つもあ
る。
右の欠は人が神へ強く祈る様を表しているとの事。この2つの組み合わせから、
歌は「神への願いを強く迫る事」の意味となる。

今、人気のある作家の西加奈子をアサイチで見た。
猫描写の1つとして「きりこについて」を読んだ時にはそれほどとは
思わなかったが、今日のテレビでの話からその文章の鋭い書き方に感心した。
一つ1つの動作について書き込んだ文章は、特に人の足元や顔つきの変化など
日頃の観察の凄さとそれを表現する言葉の選び方が凄い。
彼女が反芻するというと言う「トニーモリスンの青い眼が欲しい」がその微妙な
表現の原点との事。一度、読む必要があるかも。
基本的には、情景の詳細な記述も必要であるが、人の起こす小さな動きをキチンと
捉え、それを出来ればストレートに表現できるスキルが必要である。


金沢スポット
すしタクシーが面白そう。近江市場に旬なさかな。
新幹線のお弁当が美味しそうである。その日に捕れた魚の刺身弁当


googleマップ直線距離
http://japonyol.net/editor/distancia.html

タイムラプスって、結構使えるかも。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1410/15/news057.html


人口減少の恐さ
ピークとなった2008年から人口は、2020年には、ほとんどの都道府県の人口が
減少し、秋田などは27%の減少を示す。このままでは、2050年には、国土の
61%が無居住地域となる。また、少子化は高齢者の比率を高め、2025年度には、
年金、医療、介護などの社会保障寄付費が150兆円近くに増加する。
その最大の原因は、団塊の世代が病気や認知症、要介護状態になる75歳以上に
なることだ。国内総生産に占める給付費のが7%とか8%となり、経済成長率を
大きく上回る事になる。また、1980年代に人口の増加に合わせて、多くの
公共施設が建設されたが、これらも耐用年数を迎えても、人口減少に伴う
税収の落ち込みにより、補修、維持することも困難となる。
日本はまさに、滅び去る老国となるのだ。

ドナルド・キーンは言う。
日本の文化は世界の勝者となった。
その起源は、室町時代の足利義政の美的趣味から始まっている。
日本人は、過去の歴史や慣習を簡単に手放してしまった。戦後の風景を今では
ほとんど思い出されないであろう。
しかし、古典のみからは得られない日本の姿を現代の視点で見る事を教えてもらった。
グローバル化が進む中、日本文化は世界に何を貢献できるのだろうか。
高齢化、機械化が進み、膨大な余暇を手にした人類の未来には、日本の第2芸術が
役立つと考える。
素人が参加できる第2芸術が日本では非常に豊かに育まれている。格式のある
家元制度から地域の集まりまで、多種多様な組織が共存し、老若男女が研鑽を
積みあう。
それが日本の美意識を支えている。
能、文楽、歌舞伎のファンが増え、茶道、華道、書道など、日本人の向上心の源
である「道」は、世界へ広がる。

滋賀県がロケーションジャパンの対象に選ばれた。
交通アクセスが良く、昔ながらの里山風景や歴史的建造物が多くあるのが評価された。
るろう剣心での彦根城周辺や近江八幡の堀、日野城跡、日吉大社などが使われた。
詳細は、滋賀ロケーションオフィスのホームサイトに、湖岸や神社仏閣、廃墟などの
内訳で載っている。
http://www.shiga-location.jp/
これに、志賀の観光事業を組合すのも、1つかもしれない。


総移動距離7800キロ、累積標高差10万メートル!200日間かけて日本百名山に
“人力のみ、一筆書き”でチャレンジする壮大な旅。
深田久弥「日本百名山」が出版されてから五十年。
日本百名山すべての頂を登り、その間、一切交通機関を使わず、自分の脚とカヤック
だけでつなぐ、途方もない挑戦の記録が放映された。
「日本百名山完全人力一筆書き踏破」
挑むのは、日本を代表するプロアドベンチャーレーサー
田中陽希。
4月1日屋久島・宮之浦岳からスタートし、北海道・利尻島の利尻岳まで総移
動距離7800km、累積標高10万mを、およそ200日間で踏破した。
目的が明確であり、ハロルドフライの旅とは大分違うが、例えば途中次の山へ行く
ために、480KMも徒歩で行くのだから、その点の苦しさは同じであろう。
歩きながら寝てしまうというその過酷さ、身体が完全に消耗し、39度の熱に
悩まされ、5日間の点滴を含む休養を取らざるを得なかったことや筋肉痛が酷く、
三日ほど歩けなくなったこともある。最後の試練は利尻島までをカヤックで行く
のだが、時化のため、12時間以上を海上で悪戦苦闘する様は、とても真似できない。
2000メートル級の山を百座達成するだけでもとても想像を絶することであるが、
平地ではそれ以上の苦しみがあったようである。
彼が途中で、歩くことはいいことと言うのを聞き、我が身にも力を与えた。

スタートは、世界遺産・屋久島の宮之浦岳から。山桜が咲き始め、屋久杉の巨樹
も新緑に萌える屋久島を、南から北へと縦断する。
旅の最初の難関は、屋久島から九州までの大隅海峡約90㎞をシーカヤック
で渡ることだ。
速い潮の流れで知られる危険地域。手にマメを作りながらも2日かけて渡りきる。
九州本土に到着すると円錐形の開門岳を登り、薩摩湾沿いを北上。霧島山を登り、
祖母山、そして、九州を代表する火の山・阿蘇山、久住山を登頂する。
関門トンネルを渡り本州へ。ここから日本海沿いに500kmのロードをひたすら歩き続け
る陽希。
そして中国地方唯一の百名山で信仰の山としても知られる大山を登る。
さらにここから150km南下し瀬戸内海へ。しまなみ海道を渡って四国に上陸。
四国の誇る2つの霊山・石鎚山と剣山を登る。ここまでスタートから1か月。旅はまだ
まだこれからだ。
次は、紀伊半島から北上し、北陸の山々を巡り、南アルプスまでの日本百名山13座に
挑む旅。四国・鳴門海峡から紀伊半島へカヤックで渡った陽希は、世界遺産・
大峯奥駈道のある奈良・大峰山へ。さらに日本有数の多雨地帯として知られる
大台ケ原山を目指すが、そこでは意外な人との出会いが・・・。続いて、
向かったのは北陸。
天気の崩れを心配した陽希は、一日のうちで踏破を目指すが、想像以上の雪と
強風でペースが上がらない。
白山から南下し、いよいよ南アルプスへ。だが旅を始めて2ヶ月、疲労も
ピークを迎え、さらに今年の南アルプスは残雪が多いと聞き、不安を隠せない陽希。
聖岳、赤石岳、荒川岳そして日本第二の高峰・北岳と3000M峰が次々連なる
深い山塊を、アイゼンとピッケルを使いながら、安全なルートを見つけながら
進まねばならない。
一歩一歩注意深く進み、頂きへと登った陽希を待っていたのは、圧倒的なアルプス
の眺望だった・・・。
日本第二の高峰・北岳を後に、残る南アルプスの鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳
へ向かった田中。しかしこの時、関東甲信越は梅雨に入る。降り続く雨と足元の残雪
とに悩まされながらの登山となった。
続いて、駒ヶ根から空木岳、木曽駒ヶ岳の中央アルプスを登り、さらに独立峰・
木曽御嶽山を踏破すると、いよいよ百名山のうち十五峰が並ぶ、北アルプスへ。
その全てが3000M級という「日本の屋根」だ。
上高地から、穂高岳、常念岳、槍ヶ岳と憧れの高峰を次々と踏破。続いて笠ヶ岳、
鷲羽岳、水晶岳などの北アルプスの核心部へと向かい、さらに黒部五郎岳、
薬師岳、立山は大展望が楽しめるパノラマルートを楽しんだ。
しかし最大の難関がこの先にあった。北アルプスで最も難しいといわれる“雪と
岩の殿堂”劔岳。雪の残るこの時期は、現地ガイドも脚を踏み入れないほど
危険度が増す。
さらにその先にある、標高差2000mある黒部渓谷。まだ雪深いの6月の黒部の深い谷を
どうやって越えるのか。そして最後にそびえる、後立山連峰の稜線にも「八峰
キレット」と「不帰劔」と呼ばれる2つの難所が待ち構えていた。
数々の難関を抜け、白馬岳まで歩ききった田中の目には、一筋の涙が。1ヶ月
に及ぶ辛く長い日本アルプス大縦断の旅を歩ききった安堵の涙だった。
すでに、甲信越・関東地方の百名山33座を巡った。
日本アルプスを無事踏破した田中は、梅雨の湿気と暑さに悩まされながらも、
雨飾山・妙高山・高妻山など上信越の山々を巡り、50座目の折り返しとなる浅間山
に登頂。さらに7月として過去最大の台風が接近する中、八ヶ岳連峰のスピード登山
を敢行する。台風通過後、奥秩父の瑞牆山、金峰山などを経て「奥秩父の異端児」
と呼ばれる両神山では連続する鎖場に挑戦。さらに、日本一の山・富士山では0号目か
らの
登山に挑むが、ここで左肩を脱臼するアクシデントが。
富士山を下山後、首都圏に突入した田中を待っていたのは、大勢のファンたち。天城山
、
丹沢山、そして筑波山へと至る道中でも山頂でも、毎日応援を受け続け、田中は
戸惑いを感じ始める。そんな中、田中は群馬みなかみ町で体調を崩しダウン。
旅始まって以来の発熱で、5日の足止めを余儀なくされてしまう。だがその間、改めて
「旅を通じて地域の山々の魅力を伝えたい」という初心に立ち返った田中。
苗場山、平ヶ岳、至仏山など、関東残りの山々を登るうちに、少しずつ体調も戻り、
自然体で、山と人々との出会いとを楽しむ姿があった。
東北から北海道の山々23座を巡り、ゴールとなる利尻島利尻岳へと到達する。
尾瀬を出発した田中は、会津駒ケ岳、磐梯山、安達太良山を経て、福島と山形の
県境にある吾妻山へ。東北の山々は数は少ないが、大きな山塊が続き登りがいのある
山ばかりだ。飯豊山、蔵王山、朝日岳、さらに北上し、出羽三山の月山、鳥海山
へと登る。
岩手県に入ると、遠野の早池峰山、岩手山、秋の気配を感じながら八幡平を歩き、
八甲田山、そして、本州最北の百名山、岩木山を登る。
竜飛岬から津軽海峡をカヤックで渡ると、北海道はすでに秋から冬へ。高山では雪も
降り始め、時間との勝負が始まる。
帆尻岳から十勝岳、大雪山、トムラウシの2000m峰を雪が降る前にクリアできるの
か。さらに阿寒岳、斜里岳、羅臼岳を登れば99座。ここから稚内まで400kmの道のり
だ。
利尻島までのカヤックが最後の難関となる。果たして田中は、最後の利尻山まで、
210日以内で無事たどり着く事が出来るのか。

現代においては書籍というより「国内100座の名峰」として広く認知されている。
深田自身の経験から品格、歴史、個性を兼ね備え、かつ標高1500m以上の山から選定さ
れた。
今や山を登る者の間ではひとつのブランドとなり、幅広い年齢層の登山者を山に駆り
立てる1つの要因ともなっている。
【考 察】 日本百名山の功罪について考える
お気に入り詳細を見る
100名山の全踏破を目標にする登山者やスピードを競う人も現れ、多様な関わり方
があることが分かる。人気の高まりから登山道も整備され、ビギナーでも親しみ
やすい山が多い。
日本百名山 (新潮文庫)深田久弥
2014年で発刊50年を迎える「日本百名山」は刊行当時、登山界からはほとんど関心を
向けられなかったが、文学界からは高い評価を受けた。当時の山の雑誌の関心は
登山技術や登山記録に偏っており、山の品格、歴史、個性を2000字に込めて描き、
山の世界を深めた深田の仕事に対し適切な評価をするだけの力を持ち合わせていなかっ
たと言われる。山の本というだけでなく文学的にも優れた名著!

ingressの活用
このingressは、単なるゲームではないと思う。また、ゲームに限定してしまうのは、
もったいない。今考えている地域の観光事業の活性化の1つとして、極めて有効である
。
地域の史跡を登録し、それを順次適当に巡ってもらいながら、スタンプラリー的に
その地域を楽しんでもらう。地域の飲食店にも参加してもらう事で、その地域の
食の楽しみも味わってもらう。
Googleの「Ingress」というゲームに、いよいよiOS版が登場しました! これまでは
Android版のみで、Facebookで友人が楽しそうに遊んでいるのを眺めては、iOS版の
リリースはいつかいつかと心待ちにしていました。ついにリリースです!
「Ingress」とは?
内容はブルーとグリーンに分かれて戦う陣取り合戦のようなもので、現実世界の地図
を利用しますので、陣地をキープするために自分が移動しないとならない訳です。
移動手段はなんでも良いのですが、せっかくなのでダイエットも兼ねて徒歩で‥‥
と思ったら、初日から10km以上を歩くことになってしまいました!
「Ingress」初心者に向けて
開始2日目で何を偉そうに、と言われてしまいそうですが、関西と関東の先輩プレイヤ
ー
から指南頂き、なんとか「Ingress」がどういうゲームなのか朧げながらも像が見えて
きました。英語のゲームということもあって、プレイしているけどどうしていいか
分からない、という人もいると思うので、そういう人向けに、この2日間で教えて
貰った知識、ノウハウなどをまとめておきたいと思います。


百日紅(ひゃくじつこう)と言う北斎の娘のお栄を描いた映画が出来た。
北斎を知る参考になるのでは?
因みに、百日紅は別名サルスベリ。
百日紅(サルスベリ)の花言葉とは?
百日紅の花言葉には
 一体どのような言葉が使われているのかというと、
 以下の言葉が使われているのです。
 百日紅の花言葉一覧
 ・雄弁(ゆうべん)
 ・愛敬(あいけい)
 ・不用意
 ・潔白
 ・あなたを信じる
 ・活動
 ・世話好き
 これらの言葉が
ちなみにこの言葉のうち
 「雄弁(ゆうべん)」には、人の心を動かすように力強くしゃべる事
 という意味を持っており、
  「愛敬(あいけい)」には、人から愛され敬われること
 という意味を持っております。
  こうして百日紅の花言葉を見るととっても良い言葉が使われています。
  ちなみに百日紅はなぜ「サルスベリ」と呼ばれているのかと言いますと、
  百日紅の樹皮(じゅひ)が柔らかくて木登りが得意な猿ですら
 滑って木に登ることができないからというのが由来となっています。
 
伝統的な手すき和紙は、昨年11月に、石州半紙(島根)、本美濃紙(岐阜)、
細川紙(埼玉)の3つがユネスコの無形文化遺産となった。伝統工芸を
継続させるという点では、喜ばしいことであるが、生産者の減少、原材料、用具
等の生産基盤の衰退により厳しい状況となっている。
需要の減少が大きく、後継者がいない。職人としての生活が出来ないことが
大きな要因である。和紙は世界的にその修復に使われており、その特性は素晴らしい。
しかし、絶対量が少ないことが大きいようだ。


中国の社会が変わってきているとのこと。
それが、あきらに出ているのが、旅行ブームと買い物ブームであろう。
中国人の訪日旅行や買い物ブームが空前の盛り上がりを見せていることはお聞き呼び
のことと思う。その直接的なきっかけは円安で日本の商品やサービスが一気に割安にな
ったことだが、これはいわば外部的な環境の話である。今回、中国の人々の日本に対す
る関心が急激に高まっている背景には、こうした外部要因に加え、中国人、中国社会の
「心の持ち方」の変化という内部的な要因がある。実はこちらのほうが本質的な話と言
えるかもしれない。今回はこの話をしたい。
新しい消費者の出現
1月下旬、ある著名な中国の経済ジャーナリストが発表した文章が、あっと言う間に
全国に拡散、国営テレビや中国共産党機関紙までがその現象を取り上げるという一種の
社会現象にまでなった。「日本に行って温水便座を買う」と題するその文章は、中国で
は最も著名な経済ジャーナリストの一人、呉暁波氏が書いたものだ。日本のメディアで
も一部、伝えられたのでご覧になった方もあるかもしれない。 
「洗浄便座作れる日本を見習え」 中国の共産党機関紙、日本ほめる異例のコラム(
産経ニュース2015年2月9日) 
仕事上の会議のために沖縄を訪れた筆者(呉氏)は、そこで大量の電気炊飯器を購入
する中国人旅行客の一群に遭遇する。1人で6個も買っている人がいる。話には聞いてい
たが、日本の炊飯器はそこまで魅力的なのか。筆者は帰国後、広東省に講演に出かけた
際、中国最大の電気炊飯器メーカーの技術者にわざわざ会い、聞いてみた。 
 「日本の電気釜は本当にそんなにすごいのか」 
 「材料に大きな技術革新がある。米粒が輝いていて、ベタつかず、本当に素晴らしい
  。サンプルを買ってきて研究している」 
 「それでもできないのか」 
 「いまのところ方法がない」 


ジビエ料理の人気が高まっているとのこと。
猪や鹿などの鳥獣の年間被害額は199億円にもなる。
かならずしも、鳥獣を殺傷する事がよいとは、思えないが、例えば、鹿の場合は、
年間50万頭の割合で増えているとのこと。これでは、人間世界への影響も大きい。
この解決策の1つとして、毎年捕獲、殺傷する鳥獣を「ジビエ料理」として
広く活用していこうというのが、特に自治体の思いである。滋賀でも、以前から
鹿肉を加工しレストランなどに提供している地域活動グループもいる。
全国的には、「伝統肉協会」と言うのがある。
また、エゾシカの増加で悩む北海道の町では、エゾシカ食肉組合を作って、体系的に
鹿の捕獲を推進しているところもある。鹿肉などの流通には、3つの問題があり、
その解決を図りながら、鹿を一定以上増やさず、市場に供給している。
安定供給のためには、大型の捕獲の仕掛けを14箇所に造り、毎月500頭以上の
鹿を捕獲している。また、安全性については、独自の衛生基準ガイドラインを設定
して、加工の段階で獣医がその肉の状態を確認しながら、製造をしている。
単に猟師がしとめるだけででは、殺してから加工するまで2時間以内に処理をする、
腸を撃つ事で地が全身に廻るなど、衛生的にも問題があるようで、安定的な供給と
同時にその肉の品質管理も重要となる。
また、価格設定も3ランクに肉のレベルを設定する事で従来は猟師と加工業者の
対面的な決め方をより標準的な形にしている。


世界一長い木造の橋
蓬?橋(ほうらいばし)は、静岡県島田市の大井川に架けられた木造橋(歩行者と自転
車
の専用橋)である。全長は897.422m(巾2.7m)。法律上は農道に分類され、島田市役所
農林課の所掌である。
明治12年(1879年)1月13日 - 完成。
牧之原台地の開拓農民らの出資により建てられたため、関係者以外からは通行料金
をとったことから、現在も賃取橋(有料)である。
昭和40年(1965年) - 橋脚がコンクリートパイル化される。
平成9年(1997年)12月30日 - ギネスブックに「世界一の長さを誇る木造歩道橋」
として認定。

人の歩く距離
女性タレントが1週間、東海道を歩いた記録。
http://www.tbs.co.jp/g-muscle/corner2/1weak/040526/main.html
最大で1日に62.7キロも歩いてます。平均でも40キロを超えています。
7日で名古屋まで行っているので、8日目には三条大橋でしょう。

江戸時代の旅行者は1日に十里歩いたと言われ、12?15日かけたと言われています
(物見遊山入り)。
先を急がない旅だと1日5?6里(20?24キロ)くらいです。
十里は40キロです。距離は上に出したタレントと同じくらいですが、条件が違います
。
宿場は夜間になると木戸が閉まりますから、早めに到着して日の出とともに出発するた
め、1日の移動時間が12時間ありません。タレントは15時間は歩いています。
江戸時代の人が現代の道を、現代人と同じ装備(特に靴)で歩いたら、もっと歩けるで
しょう。
逆に、現代人が当時の道を歩いたら、装備に関係無くもっと遅くなると思います。

個人的な例ですが、江戸時代に使われていた細い街道(=山の尾根道)を歩いたら、
25キロで嫌になりました。
普段から歩いている方で、アスファルトの平地なら15キロ(2時間ほど)くらいなん
ともありません。
それが6時間で25キロのありさまでした(笑)
江戸時代の東海道は、メインストリートといっても急な登り下りが結構混ざっていまし
たので、私の場合、江戸時代の東海道を1日40キロは無理だと感じています

アメリカ軍の爆撃
終戦近くの日本への爆撃の凄さを知った。すでに防空能力を失った日本への爆撃は
東京、大阪などの主要都市中心と思っていたが、日本各地にかなりの数で行われていた
。
特に日本の全面降伏を意図した日本への上陸作戦の推進のために南九州地域への
爆撃はひどかった様である。その爪あとは今でも残っている。軍関係の施設への爆撃は
当然であるが、小学校や一般民家への銃撃やロケット弾による攻撃も行われた。
その記録がアメリカの戦闘機に取り付けられたガンカメラが入念に撮っている。
それらの攻撃記録が日本にはほとんど残っていないと言うのが、なんとも腹ただしい
が、このガンカメラの記録から攻撃された街や地域の特定をしているグループが
あるということも驚きでもある。消え去りつつある戦後70年の時の中で、
これも1つの使命なのかも知れない。

50代男の嫌われ方

個人的にも日常の中で1番イラっとするのはR50のスーツ組。あ、勿論全員じゃありませ
ん。そういう局面に遭遇した時、該当者を見ると大抵がスーツ姿の「オジサン」ってこ
とで。
 
電車の席は当然のように1.5人分のスペースを取り、新聞もしくはiPadやスマホを肘を
張った状態で閲覧。足を拡げて腿が隣の席の人に当たっても気にしない。人の足を踏ん
で謝らないのもこの世代。スーパーでは2列並びか1列並びか確認もせず列の真ん中に陣
取り、注意をされると怒鳴り出す。飛行機内ではCAさん相手に小さいことで文句をつけ
る。あー、電車や飛行機の遅延で駅員さんや空港スタッフに唾を飛ばして怒っているの
もコノ世代がダントツ。仕方ないじゃん、その人に詰め寄ったって電車や飛行機は動か
ないよ。

「オバサン」たちの迷惑行為も良く語られますが、「オジサン」と「オバサン」の迷惑
行動って、基本的に違うんですよね。つまりオジサンはその行為が迷惑と自覚した上で
「俺はOK」ってモードでやっていて(確信犯、ってヤツです)、オバサンは無意識、も
しくは集団パワーにより迷惑行為に及んでいるワケです。
 
だから、注意を受けた時のオバサンのリアクションは「あらー、ごめんなさいねぇ」「
え、そうなの? 知らなかったわ」「やだー、怒られちゃった」が大半で、強く逆ギレ
するのは少数派。
 
コレがオジサンになると、先程挙げた例や、件の指定席問題のヒトのように「何でこの
俺様がお前ごときにダメ出しされなきゃいけないんだよ!」と、大抵の場合逆ギレ方向
に向かい、より事態が大きくなってしまう。だったら最初から常識外の行動なんて取ら
なきゃいいのに。
 
……と、ココまで書いてふと気づきました。
 
新幹線の指定席についてバカッターな書き込みを全世界に発信した前述の先生、炎上後
もご自身の言動に関して特に何のフォローもせず(むしろたまにリプライしてくる人を
やり込めて遊んでる)、TLに自著の話などを織り込んでくるところを見ると、自らの“
炎上”に乗っかっちゃった感もあったりなかったり。この一件で彼のフォロワー数は8
倍の5ケタに膨れ上がってるし……さらに良く見るとアカウント……「ジャイアン」じ
ゃん!

1979年は新しい時代への入り口
1979年を振り返ってみると、1月には米中の国交が樹立、2月にはホメイニーが亡
命先のフランスからイランに帰国、4月にイスラム共和国の樹立が宣言された。言うま
でもなくイスラム教はその後の世界に大きな影響を及ぼしている。5月には、イギリス
でサッチャーが首相に就任、新自由主義的経済政策を推進した。6月にはヨハネ・パウ
ロ二世が祖国ポーランドを訪問。この訪問は東欧の人々に大きな影響を与え、非暴力の
抵抗運動はやがて共産主義体制の崩壊をもたらす。11月にはテヘランでアメリカ大使
館占拠事件が起こった。12月にはアフガニスタンでソ連の軍事介入によるクーデター
が勃発した。中国ではこの年、鄧小平が経済改革に着手し、7月には経済特区が設置さ
れた。中国はいまや経済大国と呼ばれるまでに発展している。つまり1979年は、社
会主義の終焉、市場経済の台頭、宗教の政治化が始まった年だった、、、

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