クフ王のピラミッドの謎 230万個と言われる大きな石でできたピラミッドであるが、いまだそれが どのようにして造られたのか分かっていない。よく言われるのは、横に 直線の坂を作る方法だが、その場合、460万個にもなる石の積み上げを 何年かけてやったのか、とても王の在位期間内(27年)にはできないとされる。 他にも、トンネル方法や隙間に小石を入れて石の数そのものを減らす方法などがある。 そのため、内部も十分解明されてはいない。 これを解明するため、最近、宇宙粒子であるミューを利用して内部を透過する手法が 脚光を浴びている。この方法は福島の原子炉の内部把握に利用され、成果を上げている 。 SLにもいろいろなものがあることを知った。 現在、11路線で走っているという。 九州の人吉では、明治半ばに鉄道が引かれSL86が走ることで他の街との 交流が進んだという。これにより特産の米焼酎が一気に有名となった。 山口線ではC57が走り、釧路と網走の間では週に1回いまでも、C11という 小型のSLが走る。これは北海道開拓時代に活躍した。 大井線のC11は、民間のローカル線として今一番人気があるそうだが、元々は 廃線の危機を乗り越えるために導入されたという。 なお、SLの傑作と言われるD51は、総計で1115両製造された。 一番長く乗れるのが、新潟と會津を結ぶC57であり、124キロを4時間かけて 走る。また、新津駅は当時3路線が乗り入れする駅であり、街そのものが 国鉄の街のようで多くの人が国鉄に関係していたが、SLの廃車に伴い、 街は変わった。そのほかにも、北琵琶湖、碓井、水上などを走るSLが今も 頑張っている。 有田焼 400年続くという。いまは、140ほどの窯がある。 有田周辺には、鍋島焼(鍋島藩が幕府へ献上するために造ったもので、特定の集落で 藩直轄でつくられていて。その分、徹底的な陶器へのこだわりがある)、 波左見焼きは一般庶民向けが主であり、いかに早く絵付けをするかによるその スピードが求められた。 有田焼は伊万里港から出されていたため、別名伊万里焼とも言われている。 柿右衛門が有名であるが、彼の朱色と傾奇かぶらと呼ばれるアンバランスな絵付けを その白い磁器(石をベース)で表現した作品は、龍虎図、箱唐草で実現されている。 ろくハンという意思をつぶし、そこからべんがらとして朱色を抽出し、それを更に 底の朱色、上澄みの朱色などに分けて色調を出していった。さらには、金や赤を ふんだんに使った金欄手や初期の青海波などを創りだした。 鍋島焼は江戸時代から大川内山地区で幕府向けに専用に作られていた。 今右衛門窯がその中心である。墨で書き、焼き付けでそれを飛ばすという「墨はじき」 という技が伝統的にあり、さらには吹付の濃淡で立体感を出すという。 対象感のある中に薄く碧い広がりと雪の結晶が浮かび上がるような皿が出来上がると その技術の高さに圧倒される。 波左見焼きは庶民向けに大量に作ることにその特徴を持っている。早く、的確な 絵付けの技がそれを支えている。 団塊世代の老後破産の映像を見た。 認知症の母を引き取ったため毎月10万円ほどの赤字が出て、数年後は一家離散 するのでは恐れている6人家族。主人は50代でリストラされ、毎月の赤字補てんも 含め68歳でも日夜働いている。同じように自分を育ててくれた母親が80代に なり、その介護のためわずかの時間を見てアルバイトでその日を暮している68歳の 人、彼は自営業であったが、年金は10万円程度、切りつめても毎月7万円ほどの 赤字が出る。 多くの団塊世代の人は豊かな老後を過ごしているという幻想はここにはない。 手持ちの資産が2000万円以上あるのは約23%,600万円以上は25%, 団塊の世代といってもほぼ半分は、その生活が苦しい人である。 特にバブル景気後にリストラされた人や自営業で頑張ってきた人の多くがますます 困窮化しつつある。だが、団塊ジュニアを含め、その後の若い人も低所得と 不安定な身分にあえいでいる。このため、団塊世代が彼らのつなぎ役としての 役割が大きい。家族の機能が低下する中では、ますますその役割の重要度が増す。 しかし、上記のようなほぼ半分の団塊世代が親としての役割を果たせるような 状況ではない。今後は国として、社会的にそれらを支える仕組み作りが必要となる。 伊藤若冲の特集があった。 その超細密の描き方に凄さを感じた。江戸時代のわずかの絵の具を、 花びらを4層(緑ー白ー黄ー赤)に書いてその奥行と色の変化をつける、 一色の赤色でその濃淡を使い分けることで色の違いを見せる、 わずか0.1ミリ単位で鉛の顔料を塗り、そのわずかに出る発色で雀の 胸元の白い毛に立体感を出す、 裏彩色によって、紅葉の葉の赤がすべて違う色合いを出す、 限られた絵の具を徹底的に研究し、使い分けている。 彼の技巧はその細密な描き方に加え、光による表現を徹底的に研究したうえで、 描いている。これは19世紀に光の三原色を組み合わせることで、絵画に 革新を起こした印象派の手法であるが、これを100年前の18世紀に 実現しているのだ。彼の描き方の凄さは、下絵がない、輪郭を描かずにすぐに 書き出し、しかも一定間隔で1分の狂いのない筆使いなど天才というより、 その集中力、持続力は想像を超えている。 生命の輝きを追い求めるという姿勢が、あらゆることへの挑戦となり、手法や 新しい絵の具の使用(当時ドイツで開発されたプルシアンブルー)など既存の ものにとらわれない行動へとつながっていく。 宮内庁が所有するという様々な動物や植物の姿態を上に述べて技法を駆使して、 描かれている、動植さい絵図の30幅の絵は素晴らしいものだ。相国寺にすべてを 寄進した。ただ、仏画としては異色で、池辺群生図には葉を食べている虫が描かれてい る。 群鶏図、雪中きんけい図、などあるが、いずれもざわつき感、共生感がある。 更には、白い羽で覆われた孔雀と鳳凰のその筆使いの素晴らしい運び方。 更には、細かい升目に象などを描いた。群中図は光の当たり具合でその姿が 変化する。 京都にある信行寺には、花卉図がある。 更には、四国金刀比羅神宮には、200個の百花図があり、特徴的なのが、ふつうは 描かないとされる枯れ行く花、病葉まくらば、が描かれており、旧習にとらわれない 彼の想いが伝わってくる。同様に、万福寺には8600ほどのマス目に様々な動物の絵が 描かれている鳥獣花木図屏風がある。石灯篭図屏風では、墨の点描によって、 灯篭を描いている。 さらに大阪西福寺には、京都の大火で焼け出された彼の想いが伝わる絵がある。 それは、華やかな華の絵図の襖裏に描かれた枯れたハスの花に超然とした姿で たっているその蕾である。いずれこれが、華となり、新しい命をつないでいくという 想いが込められているようだ。 晩年には、石法寺に石の五百羅漢を作った、1788年72歳で没したという。 彼の絵の技法やその思いは全く伝わっておらずわからないままである。しかし、 その描き方を現代の様々な技術で解き明かしていくとその凄さがますます 深まってくる。 彼はいう。千歳具眼の徒を待つ。千年後彼の本当の想いとその技術をわかる人を 待つ。 料理の伝統の技に「式包丁」がある。 一子相伝で、すでに一一〇〇年以上の継承があるという。 手を使わずに、包丁と箸で魚を料理する。その技は、100種類以上とされ、 現在、京都万亀楼の主人がその技の伝承者。料亭とその技の伝承をうまくこなしている 。 また、料理は目で味わうということで、器の種類も600種以上あり、季節によって、 適宜盛り付けていく。 他には、池坊が紹介されていた。華道の発祥は、会館の裏にある聖徳太子が 建立したという六角堂への仏前への供えから始まったとされ、それを行ったのが、 小野妹子であり、今でも小野妹子は華道の始祖とされている。 又、京提灯と呼ばれる伝統的な作り方の提灯屋が紹介されていた。地つくり式 といって、型枠に竹骨を当てて作っていく。 高松と徳島の間を結ぶ高徳線というローカル線がある。この駅に、四国88か所の 第1番である霊山寺のある板東駅や醤油つくりと古い街並みのある引田駅、岬の 近くの二本松駅、ここには瀬戸内海が一望できる温泉のホテルがある、など 旅を楽しめる駅が多いようだ。 また、呉市豊島、大崎下島はその海運の中継基地として栄え、古い街並みと 乙女座と呼ばれる劇場があり、島全体が昔の懐かしさを持っている。 宮島はその鳥居で有名であるが、島全体が神の縞であり、神社の後背は 原始林と奇岩がある弥山みさんと呼ばれる信仰の山である。 白神山系は白樺の林で有名だが、1本で8トンほどの保水能力があり、 湧水や清水が豊富に出ている。 ーーーーーー そこには十階ほどのマンションが建っていた。茶色のレンガ風の壁を白く 塗り上げるような強さで陽が一面を覆っている。彼がまだ小市民としての幸せを 感じていたころの情景はすべてが無機質なそれに置き換わっていた。 彼のまぶたの裏には、かって彼が十年ほど過ごした二階建てのアパートが、 そのくすんだ黒壁と大きな玄関を行きかう人々共に、映し出された。 玄関を入るとすぐに一番古手の年寄りの夫婦が住んでおり、よく彼を 可愛がってくれた。 右手は階段であり、頑丈な板目のものであったが、この屋の歳を現すかのように その縁は丸みを帯び、染みが斑な紋様を描いていた。 彼の一家の部屋は、一階の奥にあった。二間に寄り添うような生活であったが、 まだ昭和の半ばとて、多くの住人とは顔見知りで、どこの部屋にも自由に出入りし、 アパート全体が一つの家族のような雰囲気を持っていた。 アパートは東が露地であり、絶えず子供たちの嬌声と彼らをしかる母たちの声が 響き渡り、四季を通じてその賑わいは消えなかった。西には、一面田圃が続き、 大きな井戸が女たちの談笑の場、まさに井戸端会議の場となっていた。 風にそよぎ、夕日に映える洗濯物が数列に形を成す。まさに日々に幸せを感じ、 明日への喜びを思う、小さな世界であった。 アパートの前には青果市場があり、毎日様々な野菜や果物が彼の目を楽しませた。 朝早くから三輪の自動車や大型のトラックが忙しげに動き回り、仲買人たちの セリの声、幾重にも重なる音と果物の香りが妙なるリズムを作り出す、 そんな世界が広がっていた。朝の喧騒と昼の静寂の織り成す不可思議な場所、 当時彼の想いにあったのはそれだけであった。しかし、遊び場としては 絶好の場所であった。かくれんぼするには、市場の中の荷物や片隅の暗闇、 すべての要件が備わっていた。近くの子供たちとの遊び場としては、寺の奥にあった 洞窟と並んで最高の場所だった。 マンションから目を転じれば、その市場の場所には、数十軒ほどの住宅が軒を 並べている。大きなトタン屋根と砂利が広く敷かれた駐車場は、その面影 さえ残っていない。 更にマンションの横を見れば、一面、田んぼの広がりしか見えなかったのが、 甍の波となっており、アパートからその全容を拝めた小学校もその中に埋没していた。 長閑さもまた遠く昔に消え去っている。 小学校から一直線に伸びた畦道をつらつらと、赤く染まり艶やかな色と化している アパートに帰る自分はすでにいない。 今に思えば、日ごろの鬱陶しさを体で表現した自分もいない。 あのどす黒い感情の発露が突然湧き上がってきた。 当時田んぼには、沢山の蛙がいた。 それを石つぶてで殺している嬉々とした自分がいた。 田圃から土盛りへと蛙が上がるとき、小石で蛙に投げつけその体がぐっしゃという 奇妙な音を立て、一瞬に緑の個体となって飛散する。あの時は一つの喜びであった。 普段味わえない感触が投げた手から伝わり、その破裂音でさらに高まった。 生き物を殺しているという感情はなかった。 立ちすくむ自分には、その時のどす黒さがまだどこかに生き続けている。 残る時間の中で、またすでに消えた長閑さを思いつつも、この感情はどこかで 噴出してくる。そんな思いが足元から立ち上ってくる自分を感じた。 陽は中天に輝き、その装いは青く伸びやかに広がる薄紙の上に細めの 筆で数条の梳いた雲が描かれているようだ。彼は立ちつくしていた。 昨日の夜見たあの渾然一体となった人と喧騒の街には人が一人もいなかった。 マドリッドへ来て三日目であった。調査旅行と称する一か月ほどの旅では あったが、今日はほかのメンバーと別行動で街中を歩いてみたかった。 朝食の後、ぶらりと閑散とした岸壁をめぐり日本とはさして変わらぬ 光景に少し萎んだ気持ちを抱き、アーケードのあるこの下町に一歩踏み 入れたのだ。一直線に伸びた道が黒く果てしなき長さで暗闇の中に 消えていた。陽気で赤ら顔のその顔とビール腹の身体、スペイン語で客に まくし立てていた女将の颯爽とした立ち姿、黒目と浅黒い肌に白く光る歯が 印象的な若い女たち、すべてが夢の如く掻き消えている。 店のショーウィンドにはカーテンが引かれ、シャッターで固く 閉じられた店もある。普段は商品が置かれている店頭のカートには何も ない。アーケードの屋根をこじ開けるように数条の光りが地表を照らしている。 浮かび上がるのは昨夜の喧騒で生まれたごみの山、空き箱と乗り捨てられた いくつかの自転車だ。さざめくような音に音に引かれ、百メートルほど先の 広場に足を向ける。広場には犬がのんびりとその体を横たえ、時たま降りて くる鳩たちと何やら会話を交わすかのようにお互いを見つめている。 犬は彼に気付いたのであろう、何者かを探るような目つきでこちらを見ている。 白く映える中にいる黒犬。音なきモノトーンの世界だ。時折、噴水から一筋の 水が一気に天空へと駆け上がり、やがてそのかま首を下げると、無数の水滴 にほぐれ、その一粒一粒が赤や黄色の輝きを帯びて地表へと向かいやがて 小さな水たまりと変身する。 その水音と水の映えりを肌で感じながら、今はシェスタの時間だ、と思った。 スペインの日中の暑さは本物だ。まさに焦げ付く状態である。 このため、彼らの生活の知恵から昼前後は、寝るのである。その代り夜は 遅くまで人々は活動する。何しろ本格的に夕食が始まるのは夜の十時ごろだ。 この時間感覚のずれで、彼も大いに迷惑を蒙ったものだ。何しろ飲むにつけても、 午前二時、三時まで続く。朝は中々に起きるのに苦労する。 アーケードと広場の黒と白で仕切られた世界がここにあり、わずかの恐怖がある。 一瞬に感じる違和の世界だ。 彼はふと萩原朔太郎の「猫町」の一節を思い出す。 「町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々 が歩いていた。どこかで遠く、胡弓こきゅうをこするような低い音が、悲しく連続して 聴えていた。それは大地震の来る一瞬前に、平常と少しも変らない町の様子を、どこか で一人が、不思議に怪しみながら見ているような、おそろしい不安を内容した予感であ った。今、ちょっとしたはずみで一人が倒れる。そして構成された調和が破れ、町全体 が混乱の中に陥入おちいってしまう。 私は悪夢の中で夢を意識し、目ざめようとして努力しながら、必死にもがいている人 のように、おそろしい予感の中で焦燥した。空は透明に青く澄んで、充電した空気の 密度は、いよいよ刻々に嵩まって来た。建物は不安に歪ゆがんで、病気のように瘠やせ 細って来た。所々に塔のような物が見え出して来た。屋根も異様に細長く、瘠せた鶏 の脚みたいに、へんに骨ばって畸形に見えた。 「今だ!」 と恐怖に胸を動悸どうきしながら、思わず私が叫んだ時、或る小さな、黒い、鼠ねず みのような動物が、街の真中を走って行った。私の眼には、それが実によくはっきりと 映像された。何かしら、そこには或る異常な、唐突な、全体の調和を破るような印象が 感じられた。 瞬間。万象が急に静止し、底の知れない沈黙が横たわった。何事かわからなかった。 だが次の瞬間には、何人なんぴとにも想像されない、世にも奇怪な、恐ろしい異変事が 現象した。見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。 猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ。そして家々の窓口からは、 髭ひげの生はえた猫の顔が、額縁の中の絵のようにして、大きく浮き出して 現れていた。戦慄から、私は殆ほとんど息が止まり、正に昏倒するところであった。 これは人間の住む世界でなくて、猫ばかり住んでる町ではないのか。一体どうした と言うのだろう。こんな現象が信じられるものか。たしかに今、私の頭脳はどうかして いる。自分は幻影を見ているのだ。さもなければ狂気したのだ。私自身の宇宙が、意識 のバランスを失って崩壊したのだ」。 風土とは面白い、こちらの常識が非常識ともなる。 和辻さんの言葉がある。 「我々は、風土において、我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形 成 に向かったのである。我々はさらに風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる 人間生活の表現のうちに見出す事が出来る」。 外国での旅、経験は実体験としてそれが味わえる。 仄明るくなってきた空気の中で、まどろみが徐々に薄れてゆく。 先ほどまで横にいた妻のぬくもりはすでに消えていた。襖の先からは、 味噌汁の良い香りが彼を引き起こすかのように漂っている。 カーテンからは、薄い緑色や混色緑が様々に織り込まれた光景となり、 はるか先まで伸び、朱色の線となっている地平線まで見えている。 三月のまだ寒さの余韻を含んだ風がベランダに立った彼の頬をなぞり、 明るさの増した朝空へと流れていくようだ。 京都での結婚式の後、この高台にある公団のアパートの入居が決まり、 すでに一か月ほど経った。会社までは二時間弱の通勤ではあるが、女性の香りと きれいに整えられた部屋、朝夕の食事の味わい、すべてが彼にとって 初めての経験である。結婚とはこういうものか、ここしばらく彼の 心で反芻されてきた。独身寮で仕事だけに打ち込んできたが、部屋に 帰った時に日々味わってきたあのわびしさはすでに過去の語りとなった。 俺は幸せだ、と感じる日々が続いた。 ふくらはぎに痛みが走り、何を答えようとしていたかも忘れてしまう。 八百メートルほどあるいたところで、脛が切り裂かれたように痛み、右足に 体重をかけることはほとんど不可能になった。仕方なく、左足を大きく 前に踏み出した上で、右足でおっかなびっくり飛び跳ねて前進することにした。 こじんまりした商店で,絆創膏と水とスプレー缶入りのデオドラントと櫛と歯ブラシ と剃刀と粉石けんを買った。足を入念に点検してから、崩れ始めた踵の靴ずれと 爪先の腫れを絆創膏で保護した。体の深いところからずきんずきんと痛みが 伝わってくる。疲労困憊。一日にこれほどの距離を歩いたのははじめてだ。 デッキシューズを恐る恐る脱ぎ捨てた。 思わず知らず他人の目でその足を見てショックを受けた。初めて自分の 足の状態に気づいた時のような衝撃だった。両足とも白くて不健康そのもの しかも、灰色にかわりはじめている。皮膚に靴下の皺や織り目が食い込み、 いくつもの畝が出来ている。爪先と踵と甲には、靴ずれ。血がにじんで いるものもあれば、炎症を起こして膿を持っているものもある。 親指の爪は馬のひずめのように硬く、靴に当たる部分はブルーベリー色 に変わっている。しばらく他人のようなその両足を見続けていたが、やがて 一言発した。まあ、しょうがないか。取り立てて言えば、このような最悪な場合でも、 何とかなるもの、という彼の信念、想いがこの七十年を支えてきたのかもしれない。 しかし、明日以降、どうするかを考えると気が重くなった。 とりあえずは旅館の女将にお願いして、消毒と塗り薬、テーピングで一晩様子を見るこ とにした。 富士の山頂の向こう側から、少しづつ、稀薄な小さな雲が、雪煙のように 立ってきていた。 向こう側からそっとこちらを窺っているような雲の気配が、四肢を広げた 希薄な形で、前面へ舞い立ってきては、又たちまち、硬質の青空に呑み込まれて しまう、今はいかにも無力に見えるこういう伏勢は油断がならなかった。ともすると 昼までに、こういう雲がいつのまにか群がり、奇襲を繰り返して、富士の全容を 覆ってしまうからだ。 十時ごろまで、本多は涼亭に座って茫然としていた。生涯わずかのひまにも 手放さない癖のついていた書物は、遠ざけられていた。生と感情の、濾過されない 原素を夢見ていた。そして何もせずにじっとしていた。山頂の左辺にほのかに 現れて、やがて宝永山に掛かった雲が、その雲の尾を、鯱のように立ち昇らせた。 192 今西が持ってきてくれた「本朝文粋」を今朝本多はよんだところであった。 いうまでもなく都良香の「富士山の記」を読みたくおもって、今西に 頼んでおいた本である。 「富士山は、駿河国にあり。峯削り成せるがごとく、直に聳えて天につづく」 などという記述は面白くもないが、 「貞観十七年十一月五日に、吏民古きによりて祭りを致す。日午に加えて天甚だ よく晴れる。仰ぎて山の峯を観るに、白衣の美女二人有り、山の頂の上に 並び舞う。峯を去ること一尺余り、土人共に見きと、古老伝えて言う」 という件こそ、むかし本多が読んで密かに記憶に留め、その後再読の機を得ず にいたものであった。 様々な目の錯覚を呼び起こす富士山が、晴れた日にそのような幻を現出したのは 不思議ではなかった。裾野では穏やかな風が、山頂では厳しい突風になって、 晴天へ雪煙を舞い上げているのはよく見るところである。その雪煙がたまたま 二体の美女の形を思わせて、土地の人の目に映ったのもありうることである。 富士は冷静的確でありながら、ほかならぬその正確な白さと冷たさとで、 あらゆる幻想を許していた。冷たさの果てにもめまいがあるのだ、理知の果てにも めまいがあるように、富士は端正なかたちであるがあまりに、あいまいな 情念でもあるような一つの不思議な極であり、又、境界であった。 その境に二人の白衣の美女が舞っていたということは、ありえないことではない。 これに加えるに、浅間神社の祭神が木花開耶姫という女神であることが、 本多の心をしきりに誘った。 木漏れ日が残雪の一部を荘厳にした。 茶色の杉落ち葉をうづたかい残雪に降らし続ける老杉の梢には、霧のような ひかりがこもり、ある梢は緑の雲が棚引くようである。参道の奥に、残雪に 囲まれた朱の鳥居が見えた。 部屋に入るとすぐに舌を絡ませてきた。 生ぬるい感触が彼を覆い、熱いからだと覚めた心の間を何度も 捉えがたい感情が行き来していた。今他の女と交わりを結ぼうとしている、 そんな思いが初めて玩具を持った時の喜びとこれでよいのかという悔悟の 気持ちとが頭の中で交互に点滅している。 仄明るい光の中で互いの服を脱ぎ捨て、ベッドにと折れ込むと女は目を閉じた まま彼のものを自分のそれに導こうとしていた。すでに女は一人悦楽という 沼に足を踏み入れたい、その思いのみが彼女を動かしているかのようであった。 だが、彼はこの行為そのものを自分なりに受け止めたかった。女の一糸纏わぬ 裸をすみずみまで眺め、小さく波打つふくよかな胸が今はいかにも色づいて、 桃色の乳首が不服そうに尖り、白く細い腋が折りたたんだほのかな影を含み、 斜めから差し込む光りのなかですでにすべての成熟の用意が出来上がっている。 腹がその白き柔らかさで漂う中に、小さな珊瑚のように納まる臍、深い毛が 艶やかな繁みを作っている。彼にとって妻以外の身体を見るのは初めてであった。 「早くきて」。 女は初めて彼を正視した。それは、有無を言わせぬ強さで彼に迫った。 彼にとって、愛と名付けるには不自然だった。互いに性欲という単なる動物 としての本能が二人を突き動かしていた。 彼は女の感情の烈しさ、すべての彼のものを吸い取りたいという行為にただ 驚き、女のリズムにあわすのみであった。 一瞬、バーでふと目があい、緩やかな会話の後、自然な流れとしてここへ 来るまでの女のどこか冷めた態度、たえまない潤んだ微笑みからは想像 できないその激しさに、今この情景に不思議さを感じた。 仄明かりの下ではなはだ複雑に組み合わされる肢体が、たえずうごめいていた。 白いふくよかな体と浅黒い体が、放恣の限りを尽くしていた。それは、 愛を醸し出す何かが、さらに強く近づいてそこから自分の醸し出したものを さらに味わおうとして自然にとる姿態だった。影に満たされた女の黒い髪が 彼の身体に紛れあい、頬にかかる後れ毛が彼に更なる欲情を募らせた。 燃えているなめらかな頬がそれぞれ睦みあい、柔らかな腹が激しく波立っていた。 共に声が聞こえぬかのように、歓びとも悲しみともつかない歓喜が全身に行き渡り、 女は、光の方へあどけなく乳首を向けていながら、時々稲妻に触れたように震えた。 やがて彼も、もっと近く、もっと密に、もっとお互いに溶け入りたい とあせりながら果たせない自分にいらだちを覚えた。 女はすべてが終わると静かに背を向けて余韻を楽しんでいるようであった。 背筋の溝には、汗が静かに流れて、やがて溝をそれて、仄暗く影をさしている脇腹の ほうへ伝っていた。仄かな明かりの中、その肌をそっとなぞり、小さくかがみこむ ようなその体を見た。女の美しい乳房は汗にしとどに濡れているのであろうか、そんな 想いを浮かべながら彼は、先ほどの熱情の世界から徐々に悔悟の淵へと滑り落ち行く 自身を感じた。女の身体は、すでに1つの肉塊と化していた。 幾つかの想いがかすめて行ったが、それが歓びなのか、悔悟の気持ちなのか、 それを反芻するうち、やがてまどろみの中に引きこもっていった。 顔を打つ朝の緩やかな光を浴び、そのうつつの中で、女はすでに消えていた。
2016年10月7日金曜日
日々の記録28(SL、団塊世代の老後破産,伊藤若冲、有田焼
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