2016年10月9日日曜日

日々の記録5(昭和の終わり。武田鉄矢。自分が頑張った頃の歌謡曲。阿久悠。宇沢弘 文。神社の多さ

東京猫紀行と言うブログサイトを見つけた。
写真中心ではあるが、中々に面白い。
http://tokyo-neko-kikou.blogspot.jp/


昭和は終わった。
高倉健の訃報が出ていた。別に、彼自身のファンではないが、昭和の
元気な時代を静かに体現してきた人がまた,1人と消えていくのは、
寂しさの何者でもない。
そんなタイミングの中で、由紀さよりの「昭和歌謡曲」がカバーされた
とのこと。詩と日本人としての共感を大切にした時代。
日本人としての言葉とそれを乗せていく曲の多くは、今の若い世代の
好むものと大分違うかもしれないが、古事記などの日本文化の源流を
辿るという意味では、まだまだ捨てたものではない。


11月21日、アサイチに武田鉄矢が出ていた。
中々に含蓄のある言葉があり、メモした。
まずは、彼の言う「言葉の力」の再認識と漢字の成り立ち。例えば、
有動アナウンサーの有は「月と左手」から出来ている。
人が上の意識を持てば、「天」になる。などなど
また、幾つかの名言集もあった。
「道はいくらでもある。でもな、逃げ出せば、道は1つしかない。
逃げ道という道だ。」
「人生、降りる時にはじめて風景が見られる。そして、降りるとうことの
難しさ。」
「人から学ぼうとする人は、何からでも学べる。人に教えようと
する人は、何も学べない。」

海援隊の「贈る言葉」では、実は、1から3章までは、かなりの時間が
あり、それぞれの詩への想いが違うとの事。
例えば、第1章は武田が彼女にふられた時の思いであった。
第3章は、夫婦喧嘩の話とか。
また、、夫々の章には、ヒットしそうなフレーズを入れた。
例えば、
「優しさなんか 臆病者の言い訳だから」
「だけど私ほどあなたのことを深く愛した奴はいない」

武田の言葉への拘りがよく分かった。


夕暮れの中、向かっている坂からは少し橙がかった色をした空の端が見える。
既に薄墨を流し始めた様を見せる中天には、その薄墨を背景に、
白く光る鰯雲が幾つか流れて行く。その鰯雲の間を縫うように、4本の
白い飛行機雲が琵琶湖の上から橙色の強くなっていく西の空へと伸びていく。
私の立ち止まっているのが、大きな墨絵の世界の1つでもあるようだ。
墨絵の静寂と消え行く中に、明日への期待が高まってくる。
さあ、あと数10歩で、この坂からわが町へ続く道となる。

てすき和紙がユネスコの無形遺産として、登録されたとの事。
石州紙、本美濃紙、細川紙、細川紙は和紙の中でも、最高品と言われている。
こうぞという木からつく上げていく過程とその文化継承が認められた
のであるが、職人の高齢化が進んでいるのも、事実である。
美濃和紙は我が家でも、郡上に行ったときに買ったが、やはり味わいが
ある。古文書など様々な形で使われており、日本文化の継承、その発展には、
欠かせないものでもある。
美濃と言うことから、多治見の紹介を本日のアサイチでしていた。
美濃焼きとして多治見の窯元は焼く40軒以上あるとのこと。
また、タイルとしても、全国シェアの40%を占めている。
ローカルな紹介としては、「ころうどん(香露が短縮化?)」が美味しそうで
あった。鰻もここでは、かなりの人気があり、関西風が主とのこと。


先ごろ、阿久悠の特集を見た。
彼の詩の素晴らしさを感じた。
60年代から80年代、今聞くとその当時の活気ある日々を思い起こす。
心の原点にこのような歌謡曲があるのを強く意識した。
「企みの仕事術」という阿久悠の本がある。是非、一読する必要があるかもしれない。


昭和の歌謡曲、まず、浮かぶ谷村新司の「昴」
   目を閉じて何も見えず
   哀しくて目を開ければ
   荒野に向かう道より
   他に見えるものはなし

目を開けて見れば、やはり目の前に見えるものは、茫洋たる荒野の風景のみ…。

   ああ 砕け散る 宿命の星たちよ
   せめて密やかに この身を照らせよ
   我は行く 蒼白き頬のままで
   我は行く さらば昴よ

人はいかなる星のもとに生まれ育ち、どのような定めのもとで生きていき、
そしていかなる星のもとへと帰っていくのでしょうか。
   呼吸をすれば胸の中
   凩は吠き続ける
   されど我が胸は熱く
   夢を追い続けるなり

原点回帰としては、昭和50年代から平成の初めが自身の頑張った時代であり、
仕事や恋、そして挫折などにかぶさってくる。
この時代の歌謡曲の詩は、自身の想いが詰まっている。
①群青 谷村新司であり、海を見るとその儚さと追想が浮かぶ
②恋人よ 五輪真弓だが、恋と言う淡い人生経験を思い出す

恋人よ-五輪真弓    詞、曲:五輪真弓
かれはち ゆうぐ    く  ひ さむ
枯葉散る夕暮れは 来る日の寒さをものがたり
枯葉凋落的?昏   訴?寒冷日子將要來臨…..
あめ こ           あい       うた
雨に壊れたベンチには  愛をささやく 歌もない
被雨水淋壞了的長? 連可傾訴愛意的歌都沒有
                 わたし
恋人よ そばにいて  こごえる私のそばにいてよ
情人呀 陪伴在我身邊 陪伴在快要凍僵的我的身邊
             わか ばなし
そしてひとこと この別れ話が
然後對我?一句「這分手的話
じょうだん   わら
冗談だよと 笑ってほしい
是玩笑戲言」希望這樣笑著對我?
 
砂利路を駆け足で マラソン人が行き過ぎる
走在碎石子路上 ??的馬拉松選手來往經過
    ぼうきょく       と  わたし さそ
まるで忘却のぞむように 止まる私を 誘っている
猶如遺忘般地眺望著 似乎在邀約駐足的我
こいびと        きせつ
恋人よ さよなら 季節はめぐってくるけど
情人呀 再見 季節(四季)雖週而復始巡環
   ひ ふたり こい なが ぼし
あの日の二人 宵の流れ星
那一天的我倆 就像夜?的流星
ひか   き    むじょう ゆめ
光っては消える 無情の夢よ
發亮後?那間就消失 無情的夢呀
こいびと             わたし
恋人よ そばにいて こごえる私のそばにいてよ
情人呀  陪伴在我身邊 陪伴在快要凍僵的我的身邊
             わか ばなし
そしてひとこと この別れ話が
然後對我?一句「這分手的話
じょうだん   わら
冗談だよと 笑ってほしい
是玩笑戲言」希望這樣笑著對我?
 
③山河  小椋圭だが、省みては今の吾人生にも通ずる。山を歩くごとに思い出す。
④地上の星 中島みゆきであるが、プロジェクトⅩのテーマ曲であり、吾設計者として
の
      思い出がダブル。
⑤天城越え 石川さゆりであるが、男と女の熱き恋。忘れえぬ時を思い出す。
⑥俺たちの旅 小椋桂だが、旅にある自身とのダブル。
⑦今咲き誇る花たち コブクロであるが、春の旅先を連想する。

⑧ここにしか咲かない花  歩いていると思い出す。
何も無い場所だけれど ここにしか咲かない花がある
心にくくりつけた荷物を 静かに降ろせる場所
空の色 映し出した 瑠璃色の海 遥かから聞こえる
あなたの笑い声は よく聴けば 波の音でした
寂しさ隠せずに いるなら 一人になればいい
囁くほどの声で 呼んでいるのは いつも 同じ名前

あの優しかった 場所は今でも 
変らずに 僕を待ってくれて いますか? 
最後まで笑顔で(笑顔で) 何度も振り返り(手を振り)
遠ざかる姿に 唇 噛み締めた

今は こみ上げる 寂寞の思いに
潤んだ世界を 拭ってくれる
指先を 待っている

影が教えてくれるのは そこにある悲しみだけじゃない
うつむく顔を上げて振り返れば
そこにある光に気付くだろう

同じ数の出会いと別れ でも割り切れなくて
余るほどの想い出を いつまでも胸に咲かせながら

雨上がりの道は泥濘るむけれど
今ここに 生きている証を刻むよ
どうか この涙を (この涙を) しおれかけの花に(心に)
喜びの彼方でもう一度咲けるように
願いは海風に 吹かれて大空へ
やがて小さな虹をわたるよ
いつの日か その足で

ここにしか咲かない花 ここにしか吹かない風
ここでしか聴けない歌 ここでしか見えないもの
ここにしか咲かない花 ここしか吹かない風

あの優しかった場所は今でも 変らずに
僕を待ってくれていますか?
ふいに込み上げる(こみ上げる)
寂寞の想いに(想いに)
潤んだ世界を 拭ってくれる
雨上がりの道は泥濘るむけれど
今ここに 生きている証を刻むよ
いつか この涙も(この涙も) 寂寞の想いも(想いも)
忘れ去られそうな時代の傷跡も
燦然と輝く あけもどろの中に 風が運んで 星にかわる
そんな日を 待っている

⑨雨のち晴れるや ゆずであるが、これも日々の行動を自身でどう活かしていくか。
⑩つぐない、時の流れに身を任せ、愛人 いずれもテレサテンであるが、友人が好きだ
った。

ドラフトに懸からなかったが、野球への夢を忘れらない青年たちの映像がNHKで
放送されていた。23歳と26歳、いずれにしろ、人生の転機の年でもある。
彼らの「自分で判断することで、悔いを残さない」人生としたい。
野球を諦め、普通の人生を歩むか、苦労する道を選ぶか、個人個人にとって
重大な岐路なのであろう。ただ、それも更に長い人生の中では、自身の転換期の
1つである。このような経験を積み重ね、人は成長していく。挫折もして行く。
それもまた、人生であろう。
他力本願、常に生きる中で、最善を尽くせば、最後は己の目標とする何か
を得られる。
この2人にそれを期待したい。

2.5等地ビジネスのやり方について、がっちりマンディで放送していた。
場所的に商売としては、圧倒的に不利な地理的条件を、お客向けサービスを
徹底することで、逆にその力とすることは、分かっているようで中々に、
難しい。クチコミの徹底活用(顧客から名刺をもらいお礼のはがきを出すなど)
を主とした対応が光っていた。

50年前のネズミ騒動の映像が出ていた。
愛媛県宇和島に天敵がいないこと、さつまいもなどの豊富な食糧があったことで、
1万匹以上のネズミが大量発生。今では、ネズミの姿が見られなくなったが(もっとも
、
都市では多くなっているとの話もある)、これほどの数は、やはり脅威であろう。
しかし、猫も、100匹程度では勝てるわけがない。急遽、外から5000匹ほどの
猫やイタチ、蛇を大量移入したとの事。お陰で、2年後には、この騒ぎも集束
したとのことであるが、自然環境の調和の重要性を示す一事件である。

五木ひろしがNHKに出ていた。
その中で、「おふくろさんの子守唄」の思い出を語っていた。
多くの人の回想や思い出の中では、中々に親父が語られるのは、少ないように感じる。
作詞の山口洋子さんの存在は大きかったようで、彼は、多くの彼女の曲を歌ってきた。
これも、彼女が詩を大切にするからでは、と思う。
契りは、五木が作詞作曲したものとの事。知らなかったが、これに阿九悠が手を加えた
もの。
阿九悠も、彼の本の中で、書いている。ただこの歌は、映画「大日本帝国」の主題歌と
して
生まれたと言う。いわば、日本国へのラブレターなのである。愛する国と愛する人への
ラブレターとして、はるか未来の国や人への呼びかけとして、書かれている。
そう思うと、波の音、海の光が見えてくるようだ。


和邇文化センターに元気塾について、話を聞いた。
元気塾は平成18年度から開催されている。
そのテーマや講師も様々な分野から来ている。第2回目は小野妹子に関係する
講座が中心となった。小野道風、小野神社周辺の古墳、比良山のまつりなど様々である
。
他にも、「宗教美術から見た湖西の風土」(22年度)「堅田湖族の成立とその末裔」
「街道の魅力」(21年度)「湖都郷土の文化」「身近な里山の自然と文化」(23
年度)「日吉山王祭と周辺の村々」「一日一正」(24年度)「西国観音巡礼
と三井寺」(25年度)など、現在興味があるテーマについても色々と講座がある。


NHKで黄河源流を探る報告をしていた。
その源流は、「星宿海」と呼ばれる。幾つかの小さな湖が集まって湖を形成している
とのことだが、ほとんどの人は見ていない。
先ずは、銀川というところから黄河を遡っていくのだが、黄河を中心にしか
成り立たない農業などの過酷さと合わせ、途中の歴史も辿る。
西夏王国の史跡、へい霊寺、ラプラン寺、などを巡る。チベット仏教とチベット芸術
は日本の仏教と親密性がよく分かる。「タンカ」という曼荼羅に近い宗教画は
営々と継承されている。また、アムネマチン山脈はチベット宗教の神の山と
されている。
ここに巡礼者が五体投地という拝礼法で巡礼する姿は、多分、その昔、日本でも
同様のことがあったのでは、そんな想いがする。
放送を見ながら感じたのは、風土が人を創り、文化を創るという和辻さんの指摘が
なるほどと思われる。広大で平坦な土地が消え行くまで続く世界や切り立った崖と
鋭い矛先のある山々から日本人の大らかさや自然との調和と言う発想は、生まれない
であろう。
オリン湖、ザリン湖の2つの大きな湖を通り、バイエハル山脈を真近に見て、更に
奥に行くと、星宿湖が現われる。多くの沼が横につながるように、絶え間なく水を
分け合い、1つの湖沼を形成している。
晴れた夜の世界は絶景である。静かな水面に夜空の星が映し出され、地上に夜空を
現出させている。世界に、このような場所があるのだ、という感慨とともに、中国
大陸の奥深さに感心するのみ。


ディズニーの「マレフィセント」というビデオを観た。白雪姫の新しい解釈のストリー
であるが、翼を取られた森を支配する魔女が、その復讐のため、生まれた王女に
16歳になったとき、糸車の針に刺されて、永遠の眠りにつくと言う呪いをかけた。
しかし、その王女を愛した魔女は、呪いを解こうとするが、「本当の愛」が
分からないまま、国王に殺されそうになる。
ここでは「真実の愛」とは何か?が1つのテーマのようだが、文明の力で
己の欲望を満たそうとする人間と自然を大切にそれらを受け入れることで
平和な世界を創っている魔女を中心とする世界の葛藤の話とも思える。
これに似たコンセプトでは、「もののけ姫」があるが、これがアニメだけで
しか表現できない日本映画の力不足を感じる。実写とそれを演ずる俳優の
調和は、アニメの世界では無理な話であり、全体のコンセプト創りも、
集団でやるという映画造りの基本が不足しているのだろうか。


阿久悠の「企みの仕事術」を詠んだ。
このヒットメーカーの本を読んでいると、日頃感じている歌の考え方に賛同する点が
かなりあることが分かる。
「僕が作詞家として仕事をしていた60年代の後半から80年代の中盤くらいまでは
歌謡曲の中に時代の空気がしっかりと組み込まれていた。どの歌もその背景には
時代の気配を強烈に発散していた。その時々の社会の出来事や個人の思い出が
連動していて、曲を聴いたとき、この歌が出たときに自分はどこで何をしていたか
瞬時に蘇らせる力があった。
それが今の曲はどうだろう。
流行っている歌の歌詞をじっくり聴いてみる。ところが、歌詞の中に時代が見えてくる
ことはほとんどない。歌を作る作家たちが部屋の中に閉じこもっていて、窓から
外を見ていないのだと僕は思う。外の空気や温度を感じていないのではないかとも
思う。」
全く同感である。しかし、音楽を聴くにしても、ヘッドフォンで一人称の世界
に埋もれ、情報を見るにしても、スマホ、タブレットともに、これも個人の
世界である。時代は変わるもの。

宇沢弘文に関したNHKの放送があった。
経済学者であるが、現場主義に基づき高度成長期の日本の状況から
「社会共通資本」と言う考えに行き着く。高度成長期から現在の格差社会
といわれる時代を広く見渡している。
一度、その著作を読む必要性があると感じた。この社会共通資本は、最近
ビジネスでも、社会活動でも言われ始めている考え方であるが、それを20年ほど前に
提唱していることは素晴らしい。

fbでこのような本の紹介があった。
「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・
出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 
少し調べる必要がある。
また、昨日のBSフジで、全国百選鉄道の旅の放送があったが、四国88箇所巡礼
と合わせた内容であり、結構参考になる。馬路森林鉄道は高知の木々を伐採出荷
するのに使われていたが、輸入材に押され、森林業の衰退と共に、今は、廃線と
なっている。日本各地で同様のことが起こってきたのであろう。88箇所巡りに、
この鉄道の歴史と組み合わせるとまた、違った視点での面白さがあるのではないか。
22番所?が弘法大師の悟りの洞穴がある。
都市化をあまり受けていない四国では、自然との共生の姿がまだ残っているよう
でもある。

朝日新聞の記事に、ビル・エモット氏の記事があった。
日本の現状を述べている。
「企業も国際化が遅れ、世界での存在感を低下させている。トヨタ、ホンダ、
パナソニック、キャノンなどはすべて、1950年代の会社で、90年代世代
ではない。最近の20年間で成長した世界的な企業の多くは、サービス産業だ。
米アップルは、製造業の会社だがデザインの会社でもあり、サービスを提供する
会社でもある。
単なる製造業という意味では、近い将来、中国企業が天下を取るだろう。
だが、よきデザイナーであり、創意工夫に富んだサービスを提供する会社に
なれば、道は開ける。、、、、
日本の強みは、「おもてなし」の精神に代表される丁寧なサービスだ。
それなのに、多くの日本人メンタリティーは70年代、80年代のままで、
製造業にこだわりがちだ。日本経済の約7割はサービス産業。きめ細やかな
サービスが得意という日本の強みを、もっと有効活用すべきだろう。」
人間、成功体験のしがらみは中々に消えないもの。
速くその体現者である老人たちに舞台から去ってもらうことが必要である。

人間の平均寿命が2050年には、100歳を超えると言うNHKのレポートを
見た。最近の研究で、「NMN」という物質が人間の寿命に大きな関わりが
あることが分かってきた。これを使うことで、すい臓の機能劣化を抑え、更に
活性化させることで、生後22ヶ月のマウスが6ヶ月の若さになったと言う。
劣化防止と共に、若返りも可能となる。
この他にも、がん等の悪性種に対して、ピンポイントで消滅させるクスリを
注入できるナノマシンが日本で開発されている。これにより、患者には、負担を
少なくガン撲滅を図れる。
また、3Dプリンターの技術を活用して、従来では製作不可能であった様々な
複雑な臓器が作られるようになってきた。これにより、個人ごとの臓器が製作でき、
交換が可能となる。専門家は、あと15年もあれば、一番複雑な心臓を作ること
も可能と言っている。
ただ、年は経ても、肉体的に若返っていくことには、様々な意見がある。
個人的にも、そんれほど永く生きることにあまり想いはない。
人間、自然なままに生き、そして、もともとの宿命に従うのが、
一番の道ではないだろうか。今でもある老害を更に増やして、人類の発展を
阻害すべきではないだろうか。

NHKで京都の3大プロジェクトと言うのを上げていた。
琵琶湖疎水の構築、新京極通りの建設、豊臣秀吉による「御土居」の建設である。
琵琶湖疎水は当時の京都の年間予算の2倍をかけた運河作りである。琵琶湖から
京都の南禅寺付近まで、運河を作り、輸送の効率化と発電による工業化の推進を
図ったものである。今は蹴上のインクラインがその面影を残している。
新京極も8つあったお寺の参道を上手く結び付けほぼ南北に直線の大通りを造った。
これにより、一大繁華街として、成長していった。
御土居は戦乱の中で、絶えず外敵が市内を荒らしまわっていたのを防ぐために
全長23キロほどの高い壁である。これにより、洛中洛外という街としての明確な
区分が出来、街としての発展の基礎となった。

地元の、地域の企業の夫々が持つ得意な技術を上手く組み合わせて全体としての
ビジネスアップを図る事例が多くなっている。新潟のスノーピークや中川商店が
事例として上がっていた。いずれも、若い経営者が従来の考え方に囚われず、
また、閉鎖的な世界でのビジネスのみに固執することがないことが成功の
ポイントのようである。ただ、多くの中小企業の経営者はそこまで、考え方の
転換、脱皮が出来ていないのも事実である。如何に自社の持つ強みがあるのか、
弱みがあるのか、徹底した討議が必要であり、その上で、実行に移せる企業が
これからの時代に生きていける。

萩の地元めぐりをNHKでやっていた。
以前に、奥さんと行ったが、落ち着いた風情のある町並みであったと記憶している。
土塀の連なりの上に少し顔を出す夏みかんの風情が良いとの地元のボランティアの
方の話。なるほどと思う。又、この夏みかん2年越しで実をつけているとのことで、
縁起が良い。昨年の夏みかんを冬のいま、味わえるのだから、中々に、乙な
ものである。萩は吉田松陰が暮らしたところでもあり、ここでは、松蔭先生として
尊敬されている。小学校でも、松蔭の説く人としての律し方を暗誦している。
これが、この街の精神の基盤となっているのだろう。このような街が、その街の
精神文化を反映して、多くの住民に根付いていけば、日本の未来も明るいもの
になると思うが、実利主義、功利主義にまみれた多くの地域では中々に、
難しいのかもしれない。
ちなみに、先ほどの夏みかんの発祥の地が沖合いの島にある1本の原木であること
は、知らなかった。また、萩で採掘される原石を使った硬質硝子のグラスはm
その緑の色合いと音の素晴らしさは貴重なものであろう。普通の硝子の5倍以上の
硬さがあり、中々割れない。売り方によっては、高級品としての商材として
面白いと思った。

人口減少の影響がはあらゆるところに出てきているようだ。
その1つで、空き家の増加について、NHKで討論をしていた。
現在の空き家の数は、820万戸(13.5%)とのこと。
地域の衰退と高齢者の増加による実家を守れないと言う、要因などのようである。
しかも20年後には、これが32%にまで、拡大する。人口が1.3億人から
8000万人に減少することが大きいようであるが、片方では、年間100万戸の
割合で新築が増えている。新築をする多くの人は、現在ある中古の家では、
不便が多いとのことであるが、特に若い人は新生活を綺麗で利便性の高い
家に憧れるのは、必然の成り行きであろう。しかし、これには自治体の住民
獲得の目先的な施策も大きいようでもある。他からの転入者を多く出来れば
その自治体の納税が多くなるからである。例えば、全国の自治体の地域住民の
予測人数を全て足すと、日本の総人口の2倍から3倍にもなるとの話もある。
バラバラでしかも短絡的な行政志向の結果である。
討論の中でも、年上の人間は、もったいない、という発言と想いがあるようであるが、
若い人はやはり新築への想いは高い。
また、空き家がそのまま放置されるには、今の税制では、更地にすると一挙に
6倍の税金がかかると言う不合理な点があるからでもある。
この問題は個人の意識や家族としての想いが関わるため、参加者の間でも、
議論百家楼乱状態で、多分これと言った結論は出ない。また、自治体のインフラ
補修にかかる費用も今後捻出するのが大きな課題となってくる。
これは、多くの空き家が現出してくると言う、単なる空き家問題ではなく、
むしろ、今後の20年、30年後の都市計画のあり方を基本的に考え直すための
一要因なのである。
国土交通省もこの問題への意識は高いようであるが、その解決策としての考えが
コンパクトシティなるものの施策である。分散して住んでいる人をなるべく
数箇所にまとまるように誘導し、社会インフラの効率的な活用を図ろうとするもの
であるが、まさに、役人の机上計画そのもののような気がする。その家、その土地
への住んでいる人の想いや愛着、地域のつながりなど各個人の姿は、この計画
からは欠落している。

66歳から始めたパン作り
定年退職までは、仕事人間であった人が、ガンでなくなった妻からの一枚の
レシピから色々な新しいつながりを見つけていく。
妻の死後、何も出来なかった彼が、とりあえずやってみようと始めたパン作り
とそれを支えるグループが、ホームレスの人にそのパンを配る。
その触れ合いを通じて、やがて、ホームレスの人たちがパン作りに参加する
ようになる。
妻のレシピの一滴が広く輪を広げ、彼を支えている。
なぜ、妻がそのレシピを彼に渡したか?徐々にその真意を理解し始める。
こんな人生もあるのだ、と言う事をこの映像は語りかけているようだ。

山折哲雄さんが「一人の哲学」というのを言っている。
高度成長時代を経験し、貧乏生活が忘れ去られている。そして、貧乏時代
に息づいていた。「生きる指針」が見えなくなっている。
貧乏暮らしの指針には、3つあるという。
・出前の精神
自ら出かけ、やるべき事はなんでもやる。
・手作りの精神
自分の力で作り出す。
・身銭をきる
仲間作りに不可欠である。

日本人の中には、元々息づいている生活感覚としての貧乏への共感がある。
「貧乏は味わうもの」という名言さえある。
そしてその貧乏暮らしの中で、「1人で生きる哲学」を築いてきた。

JMMの記事の中で、面白い発言を読んだ。
河野:先ほど、日本で貯蓄がなくなっているという話をしましたが、この問題への
回答は消費増税ではないんです。一国全体の貯蓄がなくなっているので、消費増税
をしても、民間の貯蓄が単に政府の赤字が民間に振り替えられるだけだから改善は
しません。処方箋は社会保障の圧縮だけなんです。消費増税をやると物事が解決す
るという考えはリスキーです。

多くの自治体では選挙に行く人の半分が65歳以上になっているので、社会保障を削
減することができなくなっているのですが、自民党の保守派を自認する人の中でも、
増税は言うことができるけれども、社会保障の圧縮を言うことはなかなかできない
状況になっています。高齢者が増えて社会保障が増えるので消費増税をすればいい
というのは、問題の解決にはならない。

日本の限られた貯蓄が、国の借金にしろ増税にしろ、使われた結果、成長を高める
ための資本蓄積がもうできなくなっていることが大きな問題で、政府支出の肥大化
が成長を阻んでいるというのは変わっていないことです。

北野:JMMでもずいぶん、低負担低福祉、中負担中福祉、高負担高福祉、どれを選
びますかという話をしましたが、結局今の日本は低負担中福祉ぐらいですね。これ
からはというと、良くて中負担中福祉、数からいくと低福祉にならざるを得ないん
でしょうね。

山崎:日本社会の調整能力からいうと、インフレが実質的な増税になってバランス
するような感じですか。

河野:ひょっとしてリフレを言っている人は、増税が議会制民主主義のもとでは難
しいから、増税の代わりにインフレタックスをやって財政問題を解決しようとして
いるのでしょうか。

山崎:インフレであり金融抑圧でありという形以外では解決できないでしょうね。

北野:そういう意味ではその議論はまだ何も解決されてないということですよ。日
本が選ぶべき進路について、えんえんとやっているけどまだ解がない。

河野:増税も歳出削減もできないから、我が国はインフレタックスを選ぶというな
ら、そう国民には説明しない、と。

村上:このくらいのサービスを求めるのだったらこのくらいの負担が必要だという
アナウンスメントはメディアからも全然ないんですね。政府が何でもやるべきだと
いうメディアのほうが人気がありますから。

河野:日本は特殊ですよね。他の国では、社会保障の拡充を言う左派が増税を受け
入れているのだけど、日本の場合、リベラル派が社会保障の拡充は言うけれど増税
を否定していますから。それが長年にわたって増税ができなかった一番の理由です。


歌謡曲から観た時代の変化。
以前にも「企みの仕事術」で言ったが、同じ様な論評があったので、書き出してみる。
50年代、歌謡曲が人々の苦しみと悲しみ、そして希望を受け止める器であった
時代の日本では、時代の空気の変化を、多くの日本人は同じ歌謡曲の中に見つけ、
共有していた。さらに、それは、70年代初めから反米と青磁の時代空気の中で、
抽象的な非共同体的な風景を新しいサウンドで見せるJポップとなっていく。
もはや1つの曲に多くの国民がなみだした歌謡曲の時代でもなく、どこにもない場所を
求めたJポップの時代でもない。音楽への嗜好が多様化し、オタクカした時代で
ある現在の実情から時代の変化を感じる必要がある。

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