11月6日NHKの四国遍路の特集をみた。 以前にも、ある若い人が四国88箇所を徒歩で、全行程を 走破する姿をとった番組であるが、今回は、四国遍路が弘法大師によって 作られ、真念によって、江戸時代、急速に盛んになったことなどの経過に ついて紹介があった。 最近の遍路ブームについて、バスやタクシーで回る人も多くなったが、 自身の悩み、不安などを解消できるのか? 遍路独特のおもてなしの心は、地元住民の当たり前の 対応となっているが、今日的には、それが素晴らしいと思われるのは、 何故か、日本人の持つ根元的な考えが変わってきたのか?など、 古きよき時代としての日本人の心にも、アプローチしている。 また、雲の上にあるような雲辺寺、唐岬滝、雪輪の滝 などの紹介もあった。 例えば、雲辺寺の歴史・由来 四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路 ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登るこ とができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁 起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで 善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立 した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、 唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45 歳)、嵯峨天皇(在位809?23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮 那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。 霊場は、俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の 道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859?77)には清和天皇(在 位858?76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代は七堂伽藍も整備されて、境内には12 坊と末寺8ヶ寺を有した古刹として阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。 天正 年間(1573?92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣して雲辺寺に参拝 し、裏山から眼下を望み四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴 史にも消長はあるが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけ た。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。 11月8日NHKにて、日本サービスの特番をやっていた。 算数教室のアジア展開で、日本では、14名しか居ない生徒が 例えば、ジャカルタでは、7000名以上の生徒数を開拓 したとのこと。 その特徴は、独特の算数の解き方と1教室5,6名の生徒でしか やらないという2つが大きいようである。当然、出来ない人には、 先生がその問題を理解するまで付き合う。家にまで行くこと があるとのこと。 また、松山にあるお茶の老舗が、シンガポールに出店し、「お茶に ついての薀蓄」を語ることが評判となり、売り上げを伸ばしている。 旅館とホテルはどのように違うのか?これは、星野リゾートの社長が 長年悩んできたテーマであるが、1つの回答らしきものを掴んだとのこと。 欧米系の有名ホテルは、徹底的なマニュアル中心の顧客サービスで、 グローバル的な一律サービスを進めており、それが、顧客サービスの 基本としてきた。しかし、顧客もその好みや嗜好が多様化してきた。 その国独自のサービスやその地域でしか味わえないサービスを 望み始めている。この顧客ニーズの多様化をどのように埋めていくのか? いま、多くのホテルが直面している課題でもある。 そして、そのキーワードは、「人」かもしれない。ある旅館では、顧客 への対応は、全てその担当となった客室係に任せている。 例えば、顧客の宿泊状態をその係が見て、必要であるならば、食事 の内容から部屋の変更前行う。マニュアルが存在しない。更に、顧客 の状態をより深く知るために、全員での情報共有も行い、夫々の係から 顧客対応のためのアイデアややり方について出してもらう。 星野リゾートの社長がホテルと旅館の大きな違いを 「ホテルの場合は、顧客とスタッフは絶対的な主従関係」が基本であるが、 「旅館の場合は、その関係が対等である」と言っている。 要は、「言われたからやる」のではなく、「この人が満足してもらう」には どうすればよいのか?を考えるのである。 サービスの基本が「人ありきの現場力」と考えるか、「マニュアルありきの 統一力」の違いとのこと。 更に、「サービスに終わりがない」と言うのも、日本でのサービスの基本と 想われる。先ほどの算数教室、セブンの単品管理などに如実に出ていたが、 「サービスは決められた時間が来たからこれで終わり」と言うものではない。 顧客がサービスを納得し、また次にそのサービスを受けたいと思う様に なるまで、サービスは続くのである。 更に、コンビ二の何時でも、何でもあるという便利さに惚れ込み、UAEの 皇太子がセブンイレブンの出店をさせた。現在、セブンの場合は、グローバル な展開で53000店舗があるが、これを「単品管理と現場力」で、「顧客が 満足をするには、どうすればよいのか?」を基本テーマとして展開している。 「単品管理も現場力の改善」も、全ては、顧客満足度を徹底的に高めるために 開発されたのである。 オオムラサキは、蝶の中で、一番大きい蝶である。 その瑠璃色は、素晴らしいが、中々に見ることは難しい。 幼虫時期には、榎で過ごし、成虫のまえには、クヌギで 蜜を吸って生きていく。 その瑠璃色は素晴らしい。正倉院などの宝物に、瑠璃色のものがあるが、 古代人の色に対する感覚や意識は同じもの何かもしれない。 ぶらりと街の中を回る。 少し坂を上がると琵琶湖が曇り空の下、幾つかの波状的な縞模様を 見せながら、やや黒ずんだ水面を見せている。 ゆっくりと歩を進めると、車から見える世界とは、違う世界がある。 既に、緑の小さな手のような葉は、その色を黄色に変えつつある。 その色は、下から少しづつ薄い緑となり、葉の中で、緑から黄色への 変化し、一番上では、黄金色の盛りである。 紅葉と言う時の流れが、彼方此方で、木々の姿を変えつつある。 空き地には、以前からその寂しさを見せつつ、一本の楓がある。 その楓も、紅い衣装を着こなすようになり、一部の葉では、 既に、老いかけている。 更に、近くの小山、家々の庭木には、赤や黄色のパッチ模様が、 見え隠れしている。それらを少しでも、和らげようとするかのように、 菊やススキの白、桜草のピンクが彩りをとっている。 今、産業観光と呼ばれる観光事業がスポットを浴びている。 桐生市の廃墟となった織物工場にカフェやベーカリーのお店を作り 桐生特産の着物を着て、まだ操業している工場建物(地元では三角窓 の工場と読んでいるが)を見学し、食事から喫茶までの全てを ビジネスとしている。 また、その草分け的な存在であった秋田県の小坂町は昭和初期まで、 銅の掘り出しから精錬までを行っていたが、今は、当時の豪華な建物 を活用したりして、多くの観光客を集めている。 産業観光の基本は、既存の資産、資源をあまり金をかけずにテーマパークを 構築することにある。そして、その資源が持っている「負の資産」を 如何に後世の人々に伝えていくのか?一過性の高い観光資源であると、 次への観光化はどのように仕掛けていくべきか? それは突然であった。優柔不断な自身への天の配剤かもしれない。 2ヶ月の闘病生活である。人が意識変化でこれほど変わるとは、 思っていなかった。 自分としても、驚きである。過去の60年ほどをそのまま延長した形 で、死を迎えるのも、多くの人が選ぶように、1つかもしれない。 しかし、他力本願という信条の中で、何が本願として、残るのであろうか? 絶えざる社会の変化の中で、自身を見ていくのか、 絶対の自身を信じて、そこに、安住の場所を求めるか、 それでは、真の意味での他力本願ではない。 既に、3ヶ月前に決めた「ノットリ時間」という中での、明確に提示 した4つの大きな目標の実践をはかることがわが使命である。 ---- 最近、クラウドファンディングなるものが、 各プロジェクトに必要な資金を特定の人ではなく、そのプロジェクの想いに 賛同してくれる人にのみにお願いをする。 ここで大切なのは、「如何にファンをつくるのか?」にある。 民放の番組の中で、「鯖を素材とした食べ物屋」に拘るお店の 紹介があった。「美味しい鯖」を提供したいと言う使命がそこにある。 そして、その使命や想いに賛同するファンがいる。 個人的には、クラウドファンでリングについては、十分理解していた と思っていたが、先ほどの番組から示唆されたことも含め、 少し対応の手法を変える必要があるでは?と思っている。 まずは、ファンディングという手法の話は全くしない方が 良い様である。 まずは、自分の想いや熱いを感じてもらえる人をクチコミや リアルな付き合いの中で、集めていくことが重要となる。 そのようなコアな人をどれほど集められのか? 多分、このような人は、店の場所、時間にはあまり拘りをみせない。 これからは、本当の顧客指向の高いお店、企業が生き残る。そして、 資金的には、銀行のような査定や指名への理解が低い期間には、 行かなくなる。 ------- まだ暗い。東の方から少しづつ、まるでモノクロ写真のような 暗さからやがて白い光となってくる。 庭の梅の木から、紫陽花へ、そして名前の忘れた柑橘の木、最後には、 毎年赤い大きな花を咲かせるデゴニアへと、光が流れて行く。 その横には、小さな紫の身をつけた紫式部の木が、この庭では、 唯一の色を放っている。 そろそろ秋から冬になる気配が、その空気の冷たさから感じる。 少し前まで見せていた中空の月の姿は、今はなく、ただ青い空が 全天を照らしている。しかし、その蒼さも、家々の屋根近くでは 白く輝き、少しづつ蒼さを増しながら、天空へとその蒼さを 濃くして行くようだ。 朝のしじまが少しづつ、昼の明るさと喧騒さに紛れ、一枚一枚 写真を剥がすが如き動きで、やがて朝の顔になって行く。 富の不平等化 そして、これが最近のイスラム国への欧米諸国からの若者たちの 参加の一因伴っている。 1)世界的な所得格差への懸念増大がある。 ピュー研究所が2013年に世界39か国を対象に実施した世論調査によると 先進国、途上国に限らず7割以上の人々が、ここ5年間で格差は拡大し、 現在の仕組みは富裕層を優遇していると考えている (http://www.pewglobal.org/2013/ 05/28/world-worried-about-inequality/)。 英語圏での最近の所得分配の不平等化の進展は良く知られている。 ピケティの本(21世紀の資本主義)は現代の多くの人が関心を寄せる所得分配の問題 に正面 から取り組んだ意欲作だ。この本の主張は次のように要約できる。 第1に、程度の差こそあれ、世界中で所得と富の分配の不平等化が進んで いる。第2に、その原因は経済成長率と資本の収益率を比較したときに、 後者が前者を上回るところにある。経済全体のパイの大きさが拡大 する分よりも、資本が拡大するので資本の取り分が増えている。 確かに、1914年から1945年にかけて一時的に大戦と大恐慌と税制の変化 で大幅に平等化が進行し、所得分配の不平等化の進展に歯止めがかかった ことがあった。しかし、最近では資本の収益率が経済成長率を上回る ことによる所得格差拡大の力――「資本主義の根本矛盾」とピケティ は呼ぶ――が回復してきており、将来もこのままの事態が続く。 第3に、所得分配の不平等化を是正するために各国政府はグローバル 資産税を課すべきである。その資産税は累進税であり、たとえば 最低年0.1%から始まり、50万ユーロを超えると2%という税率 が考えられる。 マルクスの直面した状況は、産業革命後、まさに所得分配の不平等化 が進展した時代だった。激動のこの時代を要約するのは、 「イングランドの状態問題(The Conditionof England Question)」 という言葉である。これは、文芸評論家トマス・カーライル (Thomas Carlyle, 1795?1881)が1839年に用いた言葉である。 国の大多数の状態は国そのものの状態を示す。政治家たちはカナダ 問題やらアイルランド問題について語るけれど、本当に語るべきは イングランドの状態問題である、と(Carlyle 1840, 5)。 1832年の政治改革で財産のある人々まで参政権は拡大したものの、 社会の大多数を占める人々はまだ排除されていた。これは貧困と 格差による彼らの不満と不安を要約する言葉であった。 2)グローバル化と格差 グローバル化が進むと、市場は不均衡になります。そこには3つの 理由があります。 始めに、グローバル市場では、利益は等しく分けられません。 結局、人的資源、資金、企業家精神の保有者が報われます。 こういった市場で利益を得る人には教育が大切であることが 分かっています。特に90年代以降は、教育を受けた人の価値 は世界中で上がってきています。 市場の拡大とネット技術の発達などにより、人材を求めるときに、 人数よりも能力の高さ・スキルの必要が高まっています。 この結果、国内で格差が生まれています。中国とインドは よい例です。能力のある人材の流出も始まり、国家間でも格差 が広がり始めます。国によってはグローバル化のために、良く ない方向に向かっていることもあります。マリ、ウガンダ、 ベネズエラなどの国では、石油、コーヒー豆、綿花など一次 産品の輸出に依存しています。経済を貿易に頼っています。 しかし、輸出品の値段が下がっているために、成長につなげられません。 多角化を果たすための投資資金の獲得ができません。 グローバル経済では、教育が大切なので、しっかりとした施設 が必要となります。 グローバル化が不公平をもたらす2つ目の理由は、世界市場が 完全市場から程遠いということです。たとえば、公害を引き起こした 国がその代償を支払わないのは市場の失敗です。 温室効果ガスをたくさん排出するアメリカはその責任を貧しい 国に課しています。タイ、韓国、ロシア、ブラジル、アルゼンチン での90年代の金融危機は、先進国が政策を間違ったのが問題です。 全ての市場を停滞させるパニックは収まっても、その影響は国内 に残ります。子どもが学校を辞めたり、借金に苦しみ国が機能 しなくなったりします(先進国の公債費はGDP比2-3%ですが、 後進国は10-40%です。そして高金利により投資、雇用を 縮小させ、財政的に教育や健康に投ずる余裕を奪い、失業保険 などのセーフティネットも貧弱になります)。 最後の理由として、世界市場では、貿易、移住、知的財産などは 自然と先進国の力を反映するので、経済格差が広がるのです。 裕福な国の農業補助金と途上国を差別する関税を減らす争いは、 良い例です。ただこれは陰謀ではなく、ヨーロッパ、アメリカ、 日本の国内の政策が、西アフリカの綿花の市場などをまったく 見ていないのです。多国間のルールを作ろうにも実施は困難です。 アメリカなどの市場から排除されないようにと恐れて、持っている 権利を行使することをしない場合も。最近の安い薬を生産する 権利を獲得できたのは良いことですが。 グローバル政治 世界の安全、安定、共存、社会のためにできることは何でしょう。 グローバル市場が、お金のある人につられているが、格差をなくす ためにも途上国のために、教育の機会を増やしたり、インフラの整備 をしたりしなければなりません。これは、ミレニアム目標にも 定めてあることです。グローバル市場は不完全なので、調整を はかって、ルールを決めなければなりません。それは、環境 (京都議定書など)を守ったり、世界的な経済危機に備えたり、 正な競争制限をなくしていかなければなりません。 裕福な国の意見だけでなく、多国間での枠組みを作って、貧しい 国でも表に出やすいようにするためにもっと創造的にならなければ なりません。 ドーハ多国間ラウンドを完了させる必要があるし、新たなグローバル 組織(例えば、国連ベース・移民管理局)を考える必要もあるだろう。 一言で言えば、富と福祉、グローバル経済に対して、力強く、 良い枠組みや組織についての創造的思考が必要です。 しかし、アイディアそういった組織を作るには、私たちは不十分で 弱い政治であるのも確かです。21世紀の目標は、政治組織やルール、 習慣を見直し強くすることです。そこには、それまで解けなかった ようなグローバル市場の不公平な問題、格差に対処していかなければ なりません。 3)進む格差 最近の年収300万円以下サラリーマンの割合の推移を表示したものだが、 年度を経るごとにその割合はどんどん増加しています。 2002年には年収300万円以下の割合は34%ほどでしたが、最近では40%を 超えるところまで増加しています。 約4割弱近くの人口が年収300万円以下となっている。 その最も大きな理由は、こういった下流の人たちには格差社会を生き残る 知恵というものが無いために、その無知を利用した会社や政府に搾取され、 どんどん搾取されている。 更に、団塊の世代の人の所得分布を表したものだが、団塊の世代はすでに 高齢であり、年功序列によって比較的高い賃金を得ているはずの世代。 しかし実際は、20%以上の人が年収300万円以下であり、中には年収150万円 以下の ”高齢ワーキングプア” の人も10%います。 日本の高度経済成長期を謳歌し富を蓄えてきたはずの団塊の世代にも、 これほどの貧困層が存在している。 年収300万円以下の人が20%もいる一方で、年収700~1000万円の人たちも 同じぐらいの割合が存在している。 特に年収1000万円以上の人も10%以上いる。本来は年収が高くなるにつれて その割合も減っていくものですが、この世代はどうやら違う。 年収が低いところと年収が高いところに偏っている。つまり団塊の世代は 他の世代よりも同年代の格差が非常に大きい。これは平成不況による リストラなどで一気に貧困層に落ちてしまった人と、既得権益を守り きった人の差が大きいと考えられている。 厚生労働省の平成19年度の 「賃金構造基本統計調査」 による年収200万未 満の労働者を年代別に表したものだが、日本ではる年収200万未満の労働者 をワーキングプアとみなしているので、これはワーキングプアを年代別に 表したものでもある。 ワーキングプアは全ての年代で30%以上を超えており、年収200万未満の 労働者が1,000万人以上いることが分かる。 そして特にワーキングプアが多い年代が、20~24歳の若年層と50歳以上の 中高年。特に40代からはどんどんワーキングプアが増加していき、還暦を 迎えるころにはグンと増えている。高齢になればなるほど所得格差が拡大 していることからも、高齢になるほど低所得である高齢ワーキングプア が増えている。 100円ショップへの対応 「誤解されやすいですが、100円商店街はただの人集めのイベントではなくて、 店舗にとっての販促事業という位置づけです。既存の商店街の事業とは まったく次元の異なるものですし、段階を踏んで理解してもらう 必要があります。 もう一つ大切なのは、商店街の皆さんの意識。商店街全盛期の頃に財をなして、 それほど商売気のない店主さんもいますが、何より商店街全体を活気づけて 店舗に収益をもたらす取り組みとして、みんなが前かがみになって 参加してほしいと思います」 自分の店に集客するには、どんな商品が必要か。そのように自ら知恵を 絞ることが地域の意識改革につながっていく。 商店街活性化事業は、補助金とどう紐付けるかといった考え方に陥りがち だが、「もともと存在していないお金に頼っては、それがなくなったとき にやっていけなくなる」と、外部資金に頼らない姿勢で運営している。 ひとつひとつの店舗をいかに収益化させるか、そこから逆算して考える ことが100円商店街成功のひとつの要因となっているのだ。 時代が移り変わる中で、かつてとまったく同じ賑わいを商店街が取り戻す のは難しいことかもしれない。しかし、たった100円をきっかけに旋風 を巻き起こす100円商店街の存在は、商店街が持つポテンシャルを実証 するにあまりある事例と言えるだろう。 金魚の死 我が家に来て、8年ほどの金魚が死んだ。 特に、前ぶれなく、朝の光の中で、ゆったりと浮かんでいた。 朝日の加減か、水槽の中には、うっすらと虹が出ている様にも 見える。既に、30CMほどに金魚としては、巨大になり 過ぎていた感もあり、「妻とよくまあ、ここまで、、、」 と言っていた矢先でもあった。 この金魚にとっては、小さすぎるであろう水槽での 永らくの生活。我々家族を和ましてくれてもいた。 しかし、その子供らが、まだ、5匹もゆったりとその傍を 泳いでいる。彼?の命は、彼らに引き継がれているのだ。 チャトの死は、その後であるが、いずれも、死んだと直ぐには、 分からないほどの静けさが漂っていた。 数ヶ月前の病院での5回の死を見たときとの差はない。 人間も、金魚も、チャトも、死を迎える時は、同じなのかもしれない。 道元の言う「生も死もその内にあり、それを分けて考えるのは、 人の浅智慧だ」と言う言葉が心で、反芻させられる。 多くの葬式が、儀式としての便法として使われている現状では、 死と生を分けるのは、確かに、おかしな事かもしれない。 まあ、いずれ迎えるわが身でも、死とは、それほど、大袈裟に 考えるべきことでは、ないかもしれない。 |
2016年10月9日日曜日
日々の記録4(富の格差。(四国遍路、ピケティの指摘、高齢者のワーキングプア。1 00円ショップ。日本的サービス)
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