「神仏習合思想としての白山信仰の背景?現代に生きる平和と文化・歴史・ 自然環境保全の思想」 白山エコカフェでは、白山と長良川流域の自然と文化に関して地域の皆さんの ご経験・(伝統的)知識・視点と、科学的な観点から研究者(家)・技術者等 と共に自由に話し合い、長良川・白山の自然とその文化に関する情報を共有・ 発掘し、地域の自然環境・文化の保全と継承の大切さ、そして共生と進展、 さらには持続可能な地域活性化のための糸口等をみつけられれば幸いで あろうと考えております。 今回は昨年に続き、郡上地域に1300年にわたって生き続けている「神仏習合 思想としての白山信仰の背景」を、基調講演(後半)と意見交換等によって 学びたいと思います。 神仏習合思想の創始者の一人は白山を開山された泰澄大師であるといわれており、 現在も白山山系(中部域)を中心として全国的に根づいています。 郡上市には太平洋側の白山信仰の拠点として、長滝白山神社と長滝長瀧寺、 白山中居神社、洲原神社等が残っています。また白山美濃禅定道へは静岡県、 愛知県、三重県、滋賀県から続き、岐阜県に入り美濃市洲原神社で合流し 長良川に沿ってさかのぼります。その禅定道に沿って白山系神社・寺院、修験の場、 十一面観音菩薩等の泰澄大師ゆかりの白山信仰文化が今でも根づいています。 白山信仰に関連する歴史遺産として、加賀禅定道、越前禅定道、美濃禅定道の3つ のうちの一つである本禅定道は、白山市内にあり今も残っていることは、先人の 偉業が現代に残る貴重な証拠である。 また、白山信仰にまつわる文化は今も祭りや芸能として受け継がれている。 「生雲いくも」 建物の中央にある本殿て?は、「神道護摩・古代神道火祭り」を行っています。 生雲の火祭りとは、仏教・道教・神道を一つとした日本古来の 祈りの儀式て?あり、 現代の日本て?体験て?きるのは生雲た?けて?す。 自然を本尊とする道場て?、自他の願いや想いを書き記した「符」を煙とともに天に 昇らせ、魂を鎮め、心を平安にします。 古代の白山信仰を受け継き?、自然を本尊とするため、尊像は祀られていません。 東側には、いつて?も白山を拝すことか?て?きるように大きな窓を設置しています。 ここて?はひたすら白山を拝み、自然と感応しなか?ら、宇宙のエネルキ?ーを感し ことかできる。 生雲は、素朴な信仰の儀式を守りなか?ら、自然を拝し、新しい信仰のスタイルを 模索する場て?ありたいと願っています。 古代の人々が、かけがえのない存在として崇めてきた山や川。 越の国(北陸)では、白き女神の住む孤高の山「白山」が、泰澄神融禅師 (たいちょうじんゆうぜんじ)※が登拝して以来、仏教的山岳信仰の対象となり、 那谷寺とともに信仰が深まりました。 その那谷寺と白山を結ぶ線に、かつて修験者たちが修行したとされる伝説の山 「円行山」があり、ここに自然智行の求聞持堂を建てたのが生雲のはじまりです。 さらに、白山・那谷寺・円行山を結ぶ線の延長線上には、加佐ノ岬・木曽御嶽山・ 富士山も存在し、パワースポットで名高い場所が不思議と繋がります。 天と地、山と川、そして深い森に抱かれた生雲は、心と身体を浄化・再生させる 現代の癒しの宿。 下界から霧か?立ち昇り、雲か?湧き上か?る見渡す限りの自然の中て?、日常 のストレスから解 放され、自然と融け合う安らき?を感し?てみてくた?さい。 ※泰澄神融禅師:奈良時代に白山を開き、白山信仰を広めた僧。 明治になると、廃藩置県が行われ現在の県の範囲はなかなか定まりませんでしたが、 白山山頂の帰属も同様で、明治5年(1874)ようやく決まり、白山麓18ヶ村は石川県 となり現在に至っています。白山本宮・白山寺は白山比咩神社として、白山を奉祀 するようになります。また、越前馬場は白山神社と平泉寺に、美濃馬場は長滝白山 神社と長滝寺に分離されました。明治期、神仏分離-廃仏毀釈で幾多の仏像が破壊 されましたが、石川県では、当初は白山比咩神社周辺の仏教関係事物の撤去だけを おこなっていましたが、明治7年(1874)になると、石川県令は、前年白山比咩神社 の本社と指定された山頂の三社から、仏体仏器を取り除き、下山さすよう通達を 出しました。この仏体下山作業に際して、山頂や、かつての信仰登拝のための 登山道であった禅定道周辺に多く奉納されていた無名の石仏が、ただちに破壊された ようです。そして山上にあった本尊は白峰の林西寺や、尾添の白山社に下山仏 として安置されることになりました。 こうした廃仏毀釈運動の先頭に立って実行 したのは、石川県の場合、神社係で、急進的廃仏論者で、白山信仰など考証論的な 郷土史の先駆者の一人である森田平次という人のようです。これも1つの信仰の 厚さゆえに、他宗教を排他しようとする一例といえましょう。 ただ森田平次氏は、その急進的神仏分離論から、一時期取り上げられることが 敬遠される時期もあったようですが、近年、白山信仰の縁起、本来の姿など、 その地域史的研究の成果はあらためて評価されてきたようです。 郡上八幡市街地は近世初期に形成された山と川に囲まれた城下町であり、町の骨格が 変わることなく現代に受け継がれ、建物 ... 発祥祭. 日吉神社 大神楽. 長滝地区は、 白山信仰の拠. 点であった美濃馬場の中心的. な存在である。 白山信仰で隆盛を極めた。 古くから白山信仰の美濃馬場で「一に長滝お蚕祭り・二には千虎の甘酒祭り」と いわれたこの祭りはかつては甘酒六斗余を社前にすえた大釜で煮立て、村人は一人 ずつ名前を呼ばれて一椀の甘酒を受け、全員飲み終わると一同ときの声を 上げて大釜を囲み、残った甘酒をたいらげたという。祭礼は三月の第一日曜日に行われ ます。 白山比咩大神(菊理媛神)については、 http://www.y-tohara.com/shirayama-11.html 白山七社とは、加賀における里宮(遙拝所)7社をまとめた呼称で、その成立時期は 不詳ながら、白山本宮が比叡山延暦寺の末寺となった久安3年以降、比叡山・日吉七社 にならって成立したともいわれ、白山之記によれば次の7社から成っている。 本 地 垂 迹 現 在 本 宮 十一面観音 女形(白山妙理大菩薩) 三宮の地に遷座 金剣宮 倶利伽羅明王 男神(武神)・白山第一の王子 金剣宮(白山市鶴来日詰町) 三 宮 千手観音 女形・白山第三の姫君 白山比咩神社(白山市三宮) 岩本宮 地蔵菩薩 僧形・禅師権現 岩本宮(能美市辰口町) 中 宮 如意輪観音 女形・ただし童形(児宮)か 筍笠中宮神社(白山市中宮) 佐羅宮 不動明王 男神(金剣宮と同じ) 佐羅早松神社(白山市佐良) 別 宮 十一面観音 阿弥陀如来 聖観音 女形(本宮と同じ) 奇眼の老翁 宮廷に仕える大臣形 白山別宮神社(白山市別宮) 今回から3回は白山信仰にかかわる連続講演で、講師は長滝神社宮司の若宮多門氏がつ とめる。 今回の講演は、神社の拝殿で行われたのですが、拝殿に並べられた椅子が埋まるほどの 盛況振りだった。 私自身、若宮宮司のお話は何度か伺っているので、決して驚くようなことはありまない が、 初めてお話を聞いた人はたぶんきっと大いに驚かれたのではないだろうか。 というのも、宮司の話される話は、宗教者の語る内容とも、研究者の語る内容とも 違い、白山山系から流れ出る水が長良川となり濃尾平野を潤す、その「水」という キーワードから白山信仰の意味を説き、現代にこそその「水」の信仰が必要であるとい う。 今日の話を聞いていてふと昨日聞いた話を思い出した。 昨日は、「市民による豊かな海づくり大会」というテーマで、 河口堰閉鎖後の河川環境の変化についての話でしたが、 河口から40キロ当たりまでは汽水域と言い、海の潮の影響を受ける地域だという。 その周辺は現在大量のヘドロが溜まっており、干満の変化のなくなった堰上流部には、 以前まで大量に生い茂っていた葦原がほとんど姿を消したという。 若宮宮司は、長滝のあるこの地域は、古くから中品(ちゅうぼん)と呼ばれ、 人々が暮らす生活の場所である下品(げぼんと読む)と、神の領域である 上品(じょうぼん)とをつなぐいわば汽水域のようなところであったという。 だからこそ、さまざまな文化や芸術、芸能が古来よりこの地域で生まれて きたのだと語った。 葦原のある汽水域も、海から川へ、川から海へと交じり合う生物の交流点であり、 また、その自然環境が水の美しさを保つ浄化作用をもつという場所であった。 まさに、白山の神は、海から豊かな幸の姿となって川を溯り、人々や獣の命 をささえる糧となり、そして、みどり豊かな山の中をめぐって、ミネラルたっぷりの 水となって海を下り、伊勢湾という豊かな海を作り出していると言えるの ではないだろうか。 循環する命のそのものを、白山と長良川は現しているといっても過言ではない。 そういう意味においては、河口堰という人の欲望の作り出した境界は、循環という 神の意思を冒涜しているとも言える。 長滝白山神社 でででん祭り 拝殿の背戸扉がとりはずされた向こうから、郡上の遅い春の風が吹き降ろして いました。それはあたかも、白山三山の神々が中品(ちゅうぼん)の庭に風 となって現れたようです。 祝詞と巫女舞と玉ぐしが奉納された後「でででん」というリズムが響き渡り、 神輿渡御の始まりです。 三基の神輿は一直線に神社境内を駆け下ります。 フットパスとは 「森林や田園地帯、古い町並みなど、地域の昔からあるありのままの風景を楽しみなが ら歩く 【Foot】ができる小径(こみち)【Path】」のこと。 イギリスが発祥の地とされており、日本各地においても、市民団体、自治体を中心に 整備が進められています http://www.japan-footpath.jp/index.html 遺跡ウォーカー http://www.isekiwalker.com/ 彼の顔に赤みが差し、次第に顔全体がゆがみ始めた。目尻は下がり、目が潤んで いるようにも見えた。半開きとなった口からは、訳の分からない単語が発せられ、 息苦しそうにも見える。 身体が浮き立つようにゆらりと揺れた。やがて、自分で自分にで納得させるかの如く、 何度もうなずき、座り込んでしまった。今の彼には、何も見えないのであろう。 たとえ、そこに死体が転がっていようと、それさえ分からないのかもしれない。 そこにお金が転がっていようと、ただの紙切れと思うかもしれない。もっとも、 その紙切れの存在すら見えないかもしれない。 彼は、喜びと言う表現を最大限にしているのだ。 チャトはじっとその光景を見ていた。主人とのつながりから人間の行為の不思議さには 慣れていたが、いまだその本当のところは分かっていない。身体と言う見えるものに 対しての認識はできるが、その心と人間が呼ぶ見えないものには理解が及ばない。 仙人猫によれば、その見えない心を喜怒哀楽と呼ぶそうだが、それが人間としての 最大の欠点と言う。 目の前のこの不可思議な行為を見ていると、中々に楽しいものである、 とチャトは最近思うようにもなった。猫たちの行為は怒りと言う、尻尾と体の毛 を逆立て、牙を剥く、だけである。この単純な表現にチャトは飽きていた。 自分も、彼のような喜びという感情を身体全体で表したいとも思っていた。 レトは大変なものを見てしまった、そんな想いが身体を突き抜けて行った。 何げなく通った見知らぬ農家の庭であった。 一人の年寄りが、力なく庭先に立って、湧き上がる憐憫の情のために眉をよせ、 舌で上顎のすりへった金歯をいじりながら、彼女を見ていた。 彼は、少女が眠っている犬の上にかがみこむのを見た。 犬は、彼女が触れると、涙ぐんだような片目を開けた。その眼のすみに緑色 のにかわのようなものが、べったりこびりついている。 彼女は手を伸ばして、犬のあたまにさわり、やさしくなでてやった。 それから、肉の塊りを軒下にいる犬の鼻のそばにおいた。 犬は臭いで目がさめた。頭を上げ、もっとよく臭いをかごうと立ち上がった。 それから、三口か四口でそれを食べてしまった。少女がもう一度犬の頭をなでると、 犬は大人しい三角の目で彼女を見上げた。 突然、犬は咳、痰が詰まった老人の咳、をして立ち上がった。 少女は跳び上がった。 犬は咽喉を詰まらせ、空気を吸い込もうとくちをあけてあえいだが、すぐに ばったり倒れた。それから、起き上がろうとしたが、起き上がることができず、 再び起きようとして、そばにあた壊れかけの椅子にぶつかった。 息をつまらせ、よろめきながら、犬はこわれた玩具のように、庭中を 這い回った。少女の口が開いて、ちいさな花びらのような舌が見えた。 彼女は片方の手で狂ったように訳の分からない身振りをしたが、やがて 両手で口をおおった。少女は吐くまいと一生懸命になっていたのだ。 犬は再び倒れ、からだがピクピク痙攣した。それから静かになった。 少女は両手で口をおおったまま、少しづつあとずさりし、それから 背を向け、庭から走り出て、通りを下って行った。 老人は、横たわっている犬の傍に近づきそっとその顔を撫ぜた。 その皺に満ちた顔は、無表情であったが、身体からは黒い悲しみの空気 がそっと上がって行った。 レトはしばらくその場を動かなかった。というより、動けなかったという方が 正確なのかも知れない。特徴あるあの鍵型の尻尾が小刻みに震えていた。 足は地面に吸い付いたように動かない。頭では、早くこの場から離れろと 言っているのだが、身体は膠着したままであった。その黒い瞳だけが 横たわってる犬の、既に死骸と化した、姿に注がれている。後ろ足に 温かいものを感じた。水が後ろ足の周りに溜まっているのに気付いた。 レトにとって、凄く長い時間が亀が進むが如き遅い速度で進んでいた。 和邇祭り 5月の第二日曜日 その天皇神社(大宮)の両脇に合計5つの神社が並んでいる。 左から、三宮神社、樹下神社、若宮神社、大国神社、松尾神社。 御神輿は5基あり、それぞれ地元の各地区が担当しているとのこと。 その各地区と担当神輿をリストする。 三宮神社:北浜 樹下神社:中浜 大宮(2):今宿、下今宿 若宮神社:高城 木元という神輿グループもあったが、大宮の一つかと思う。 その和邇祭が5月12日(日)に行われた。 裃(かみしも)を着た年配の関係者に聞いた話では、昔は5月8日に行っていた そうだが、平日にはなかなか町内の人も集まりにくく、数年前から、 5月第二日曜日に実施、となったそうだ。昔はほとんど農家の体力も ある人が多かったが、最近はみな高齢化し、若者が少なくなりさらに 会社勤めが多くなったため、町内で人を集めるのも大変、と言っていた。 先頭では祭の責任者がなにやら祝詞奏上。 突然若い担ぎ手が竹竿をもって疾走してきた。 竹竿は神輿に立てかけられた。おもしろいことに大部分の竿の先端には藁が 荒縄で巻きつけられている。 またまた例の年配の関係者に聞いてみた。 今は、体力ある若い人がすくなくなり、神輿を全行程担ぎ通すことはせず、 大分部分は台車に載せて練り歩くことにした。しかし昔は全行程を担ぎ通していた。 時々登り坂で厳しくなったときにこの竿を使って皆で押して、助けたそうで、 藁先はその時のクッションのために巻いてあるそうだ。 今は竿を使うことはないが、伝統的な形式を残すために、こうして青竹の 竿を準備するそうだ。 神輿の飾り付けの一つに鏡がある。「神輿大全」P36によると、 『昔から鏡は、神秘の力の宿るものとして、多くの神社でご神体とされ、 また、魔を撥ね退ける魔除けとしても珍重されてきた。 神輿で唐戸の前に据えられる鏡は、邪気を祓う防波堤のような役割を 果たしていると考えられる。また、機能としては唐戸を押さえる役割もある』 とある。 この神輿の鏡は側面にあった。この場合魔除けではなく、 神を招き入れる意味があるのかも。 「祭りの風景」 春から夏への季節の移ろいが始まり、大きく育った草花がそれぞれの花や大きな葉 を気の向くまま広げていた。 この頃、彼方此方で春の祭りが行われる。田には水が満ち、稲の子供たちが一列 となって希望の歩みを始めるようだ。今日は近くの神社の春の祭りである。 昨日から我が家にも風に乗って祭囃子の練習の音が聞こえてきた。 ゆるゆるとした尺のテンポと小気味よさを伴った太鼓の連打する音がこれを聞く 人々にもなにか心地よさを与えてくれる。 そして全く雲が一片足りとも見えない蒼い空とともに祭りの日となった。 普段わずかな人影だけが残されている境内には8基ほどの神輿がきらびやかに 鎮座している。その少し先にある鳥居から3,4百メートルの道の両脇には 色々なテントが軒を並べている。焼きとうもろこし、揚げカツ、今川焼き、 たこ焼きなど様々な匂いが集まった人々の織り成す雑多な音とともに一つの 塊りとなってそれぞれの身体に降り注いでいく。やがて祭りが最高潮となると ハッピを着た若者たちが駆け足で神社に向って一斉に押し寄せてくる。 周りの人もそれに合わすかのようにゆるりと横へ流れる。 駆け抜ける若者の顔は汗と照りかえる日差しの中で紅く染め上がり、陽に 照らされた身体からは幾筋もの流れとなって汗が落ちていく。 神社と通り一杯になった人々からはどよめきと歓声が蒼い空に突き抜けていく。 揚げたソーセージを口にした子どもたち、Tシャツに祭りのロゴをつけた若者、 携帯で写真を撮る女性、皆が一斉に顔を左から右へと流していく。 その後には、縞模様の裃に白足袋の年寄りたちがゆるリゆるりと歩を進める。 いずれもその皺の多い顔に汗が光り、白髪がその歩みに合わし小刻みに揺れている。 神社の奥では、白地に大宮、今宮などの染付けたハッピ姿の若者がまだ駆け抜けた 興奮が冷めやらぬのか、白い帯となって神輿の周りを取り巻いている。 団地の未来プロジェクト 先ずは洋光台から 「団地の未来を描く。それは、社会の豊かな未来像を描くことでもあります」 クリエイティブディレクター、佐藤可士和氏がそう語る通り、日本の高度成長期に誕生 し、 以来、40年以上の歴史を持つ「団地」には、日本の社会が抱える課題と可能性が 映し出されている。 今年3月、都市再生機構(UR都市機構)が団地の再生に取り組む「団地の未来プロジェ クト」 が発足した。プロジェクトには、佐藤可士和氏とともに、建築家の隈研吾氏が参加。 横浜市磯子区の洋光台団地を舞台に、新しい住まい方、地域のあり方を発信する 試みが始まっている。 「集住のパワー」を引き出す かつて成長期には憧れの対象でもあった「団地」は、人口減少の時代の中で、空室の 増加や老朽化に直面しており、その再整備・再活用は大きな課題となっている。 プロジェクトは、逆風の中にある「団地」の価値を再定義し、新たな視点で 未来を描いていく。 佐藤可士和氏によると、大切な考え方の一つが「集住のパワー」を最大化すること。 集まって住むメリットをさまざまな形にし、住む人が享受できるようにするという。 今後、プロジェクトで展開する試みの一つが、「図書館」。団地に図書館をつくり、 知育や世代交流のコミュニティスペースとして活用し、独自のライブラリーを そろえる予定だ。また、「防災の新しいカタチ」や「商業空間の活性化」などの 取り組みも予定されており、開かれたまちづくりにつながるプロジェクトにしていく。 新しいライフスタイルに適した建築・空間設計を担当する隈研吾氏は、団地の 外壁のリニューアルを実施。露出していた室外機置き場をアルミ製の「木の葉パネル」 で覆うことで、室外機のようなマイナスと思われていた要素をポジティブな 要素へと転換した。 団地のイメージを刷新 団地の未来プロジェクトのロゴデザインも担当した佐藤可士和氏は、そのコンセプト について、「『団』の字の四隅を丸くしたアイコンで、既存の枠組みに捉われない 柔軟な考え方から創造される新たな可能性を表した」という。そして、「団地から 想像するこれまでのイメージを刷新し、新たな文化の創造につながる独自のアイデア を展開していきたい」と、プロジェクトに懸ける思いを語った。 団地の未来プロジェクトは、目標を2020年に設定した長期の取り組みとなっている。 今後、そこで生まれた成果は、他の団地にも活かすことが考えられている。 日本に数多く存在する団地という「ストック」の価値が、見つめ直されている。 青の浮世絵 三島市の佐野美術館(三島市中田町)で現在、浮世絵の展覧会「世界を魅了した『青』 浮世絵名品展 春信・歌麿の“露草青”写楽の“藍”北斎・広重の“ベルリンブルー” 」 が開催されている。 同展覧会では、東京都文京区にある礫川(こいしかわ)浮世絵美術館の約2000点の収蔵 品から、 江戸時代の浮世絵の名作約100点を展示している。 展覧会の構成は、初めて青色を本格的に使用した鈴木春信などの美人画に見られる淡く 繊細な 「露草青」、東洲斎写楽の役者絵の頭の青々とした月代(さかやき)に見られる「藍」 、 そして18世紀初頭にドイツで発明された合成顔料「ベルリンブルー」という3種類の青 色 の絵具の変化によって、浮世絵の表現の変遷をたどっている。 作品には、どの種類の青色彩色がなされているか表記があり、「露草青」が使われてい る とされる作品は、退色して青が全く見えなくなっているのに対し、藍が使われている とされる作は淡い青色を見ることができる。そして、「ベルリンブルー」が使われた傑 作、 葛飾北斎の「冨嶽三十六景」では、ふんだんに使われた青色によるグラデーションや ぼかしなど、多様な表現を楽しむことができる。 来場者からは「青という着眼点が面白い。青の歴史、浮世絵の変遷がわかった」 「見慣れるとどの絵具が使われているか分かるようになってきて面白い」などの声が聞 かれた。 5月23日(土)、30日(土)の午後2時から、主要な作品を解説する、担当学芸員の ギャラリートークが予定されている。 『十句観音経』 観世音。南無仏。 (観世音菩薩に帰依します) 与仏有因。与仏有縁。 (我々にも仏と同じ因果の法則があり、また縁でつながってい ます) 仏法相縁[1]。常楽我浄。 (仏と法の縁によって、私たちは常に心を清らかにし、楽 しく過ごせます) 朝念観世音。暮念観世音。 (朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます) 念念従心起。念念不離心。 (この念は仏心から起こり、また心を離れません) 綱島温泉 今日NHKでこの温泉の休館が報じられていた。 綱島は私の故郷である。小学生の頃、よくここのラジウム温泉の湯船の中で、泳いだり していた事が忘れられない。その頃の記憶はかなり薄くなったが、3,4歳のでこチン の 私がこちらに眼を飛ばしている、そんな写真が残っている。広場には、沢山の人が 何やら陽気に騒いでいたようであった。 スーパー銭湯がにぎわっているこの時代には、既に姿を変えていたと思っていたが、 今まで営業していたとは、感激である。しかも、今回のNHKの映像からは、私の記憶 の 端にあるあの皆が和気藹々と過ごしていた昔の情景がそのまま残っている。 建物はコンクリートになっているが、庭はまだその面影を残している様でもある。 創業が昭和21年とのことだから、私の時間とほぼ同じ時間をお互いすごしてきたのだ 。 映像からも中の施設が綺麗とは余りいえないものの、知らぬ同士が歌い、踊り、 食べて、そしてゆるやかな人間関係を作っていく、昭和のよき姿が残っている。 以下の幾つかのサイトの記事からもその雰囲気が分かるのでは。 「綱島温泉東京園は東急東横線の綱島駅のすぐ近くにある温泉センターだ。東京園 は 1946年操業だが、綱島温泉の歴史は1914年に始まるという。 戦前は東 京の奥座敷として大きな温泉街になっていたが、現在は数件の温泉銭湯と 東京園 がその名残を止めている。、、、、、 浴室の端に源泉そのままと思われる水風呂がある。足を浸けるだけでも効果があると 掲示してあるのでためしてみることにした。水風呂にしばらく足を浸し、温浴槽に 浸かり、また水風呂と繰り返した。これはなかなか効果がある。体の芯からさっぱり した気がする。 休憩室は1階にも2階にも大広間が何カ所もある。売店でビールやつまみも安く 売っている。中庭に面した窓際に座って、風に当たりながらビールを飲むのは最高に贅 沢だ。 、、、、、、、 東京園は温泉センターでも特に気取らない雰囲気だ。昭和の初めのレトロな雰囲気を 残して、なにかなつかしい、ほのぼのとした気分を満喫した。」 「こちらの「東京園」にはめちゃんこデカい宴会場がついていて、 温泉を堪能しながら宴会が出来るのです! 実はフォロワーさんから「マジで良いっすよ」っていう情報が何度か入っていて、 その度に「温泉の神であるところの僕が知らない東京周辺の温泉があるわけないし、 その温泉神に意見しようなど神をも恐れぬ所業である事を自覚するべき」なんてな 感じで激怒していたのですが、とある忘年会に誘われてこちらに来た所、 マジでハンパ無く良い施設だったのでご紹介したいと思います。」 「創業昭和21年という歴史を持つ当店は、元気で楽しく低料金をモットーに、人々に 憩いの場を提供しています。 自慢の温泉は天然のラジウム温泉です。まじりっけなし100%天然のお湯は、 さらりとした中にもまろやかな粘り気があり、肌全体を潤してくれます。 またラジウムの効果で体の芯から暖まります。 ラジウム温泉、広間、店内には日当たりの良い大小4つの大広間があり、庭の樹や 花を眺め、小鳥のさえずりを聞きながら、舞台で歌ったり踊ったり、また ラジウム温泉に入り、のんびり読書やおしゃべりに最適です。」 2005年4月の文芸春秋には「消えた「昭和」 日本人が失くした暮しと心」 の特集があった。今読んでも参考となる。 蚊帳 蚊に灯虫毒虫なつかしや 佐藤愛子 焚き火 暖を取りモノを焼き語り合う 椎名 誠 和式便所 日本が誇るべき「腰・肚」文化 齋藤 孝 ナイフ 僕たちは、なめていた 重松 清 原っぱ 虫取り、凧あげ、草野球 北 杜夫 紙芝居 実はモダンな路上芸 鴨下信一 駄菓子屋 ねえちゃんばあちゃんの店 泉 麻人 ラジオ 家族の話の真ん中にラジオ 永 六輔 縁側 日溜りの中、母の社交場 久世光彦 箒とちりとり 母・幸田文のお下がり 青木 玉 ちゃぶ台 秘技「ちゃぶ台返し」の効用 山本一力 神棚と仏壇 「神仏共存」日本列島の源流 山折哲雄 蝿取り紙 私が最後に看取った蝿たち 小川洋子 押入れ 女の子と一緒にかくれんぼ 藤原智美 書斎 絶滅する男の居場所 藤森照信 給料袋 幸福が月に一度やってきた 阿久 悠 半ドン 土曜の午後は父とともに 深田祐介 社員旅行 会社がいまだ共同体だった頃 嵐山光三郎 中卒 学歴なくとも皆夢があった 小関智弘 そろばん はじける珠は「人間の音」 出久根達郎 内容は記事でかくにんしたい。
2016年10月9日日曜日
日々の記録10(郡上の白山盛衰、現在の信仰は?フットパス、遺跡ウォーカー、和邇 祭り、団地未来プロジェクト、青の浮世絵、10句観音経、綱島温泉
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