インターネットの次に来るもの コピーが当たり前になった社会で価値を生むもの 作田 祥介さん 青山ブックセンター本店 ビジネス書担当 作田: 本書には、「インターネットは世界最大のコピーマシン」と書かれています。コンテン ツがどんどん無料化されていったときに、なにに価値が発生するのか。その答えとして 「即時性」「パーソナライズ」「解釈」「信頼性」「アクセス可能性」「実体化」「支 援者」「発見可能性」という方向性が示されており、コンテンツ産業の一員として勉強 になりました 服部: 「コピー」というのは、出版社や書店にとっては許せないことです。しかし、これから 価値が高まるのは、人々の「アテンション」(注目)ですから、視点を読者側に切り替 えてコンテンツを作っていかなければならない。そういう意味では、新聞社も出版社も 、まったく違うビジネスモデルを考えていく必要があるかもしれません。今の産業にと っては、なかなか受け入れがたい変化でしょう。しかし、私たちが当たり前だと信じて いる常識は「時代の産物」であって、これからの社会では通用しない可能性があるんで す。 宮崎: 実際に、いろいろな常識が変わり始めています。 服部: 私たちは、「いい会社に入って、お金をいっぱいもらって、大きい家に住んで、高価な 車に乗る」といったことが幸せだと教えられてきたわけですが、今はそれがカッコ悪い わけです。ネットを使ってシェアすれば、わざわざ物を所有する必要はないし、物を溜 め込むのは環境にも悪い。サービスが洗練されていけば、メンテナンスの必要もなくな ります。今までと逆の見方をすることで、新しい価値が生み出されていくのが現代なの です。根本的な視点の転換は、すべてに影響を与えていきます。根本的に基盤を変える と、その上に乗っかっている政治や文化、経済、生活などの「当たり前」が一変してし まうのです。 「人工知能」は「人工異星人」になる? 宮崎: 私が衝撃的だったのは、「AIは科学について人間の科学者と違う視点で考えるようにな るはずだから、人間も科学に対して違った考え方をするように迫られる」という箇所で す。もしかしたら、人間は「生物学的な進化では獲得できない新しい種類の知能を発明 するために存在している」のかもしれない、と。ちょっと怖いですが、ワクワクもしま す。長生きをすれば、「新しい種類の知能」が存在する世界を目撃できるかもしれませ ん。 松島: AIが人間を凌駕する「シンギュラリティ」(技術的特異点)を考えるうえで、ケリー氏 はAA(Artificial Alien:人工異星人)という考え方を提唱しました。私は2007年に、 『シンギュラリティは近い ── 人類が生命を超越するとき』(レイ・カーツワイル著 )という本を手がけたのですが、その当時はシンギュラリティという考え方を、ほとん どの日本人が知りませんでした。しかし、肯定的にせよ、否定的にせよ、この数年で社 会が受け入れ始めたように肌で感じています。昔の人に「自分がいる場所が地図上に表 示できるようになる」と言っても誰も信じないと思いますが、実際には実現し、我々は 当然のように使っています。そう考えると技術的進化の指数級数的な変化が起こり、気 づいたときには社会のあり方が変わっている可能性がある。 宮崎: ただし、ケリー氏は必ずその世界がディストピアになると描いてはいませんよね。 松島: はい。人間と補完関係を築く可能性もあるとしています。強いシンギュラリティ、弱い シンギュラリティがあるとして、人類はどこに向かっていくのかを考えるのは面白い。 おっしゃるとおり、生きているうちにその行く末を見届けることができるかもしれませ ん。 服部: 未来学者のハーマン・カーンは、「think about unthinkable」という言葉を遺してい ます。考えられないことを、どのように考えるか。つまり、「なにが本当に気づいてい ないことなのか」に気づかなければいけないのだ、と。我々にとっては、とても難しい ことです。それに気づくには、なにも知らない子ども、もしくは異星人から「王様は裸 だ」指摘してもらわなければいけないのかもしれない。自分たちの意識の限界の外から 、「私には、君たちはこう見えている」とAAに言ってもらう未来が実現するかもしれま せん。 「この星」という枠組みで物事を考えられない日本人 宮崎: 最後に、本書をどのように読んでほしいか。読者にメッセージをお願いします。 服部 桂(はっとり けい)さん 元 朝日新聞社記者 服部: 「わからないことを増やす」ことは、特に日本企業では悪いこととされがちですが、人 類が進化するにつれて、「疑問」の数は増えていきました。ケヴィンは「本当に重要な 疑問はまだ誰も発していない」と言っています。本題で使った、カッコ付きの〈インタ ーネット〉は、我々がまだ名付け得ないものです。それがどのようなものになるのか。 この本をよりよい疑問を生む装置だと考えてもらい、考え抜いてほしいと思っています 。 松島: 足腰の強い長い思考を促すのが、書籍というメディアの役目です。人類が「火」という テクノロジーを手に入れたことにより、途方もない変化が起こりました。天敵から身を 守ったり、調理したりするだけではなく、あらゆる部分に火がもたらしたイノベーショ ンは波及しているわけです。それくらいの畏怖を持って、現在に起こっていることが人 類の文明をどう変えていくのかを考えなければいけない。それが本書のメッセージです 。 作田: 本書では、「この星」という言葉が使われています。この星の中で、どのようにテクノ ロジーが変化し、どのような流れが生じているのか。「この星」という視座で書かれた ビジネス書は、日本にはあまり見受けられません。そうしたスケール感の大きい枠組み で物事を考えている人とそうではない人との差は、今後開いていく気がしました。デジ タルに興味がある人だけではなく、すべてのビジネスパーソンに読んでもらいたいです 。 松島: 翻訳書を手がける者として、日本語で書かれていることと、世界で起こっていることの 断絶には常々、危機感を覚えています。「人類が」「この星が」といった言葉が、すら っと出てくるかこないかだけで、その人の見ている世界観がまったく違ってきてしまう 。作田さんのおっしゃるとおり、「この星」というスケールで書かれた日本語の書籍は 、あまりありません。テクノロジーによって世界の人々がどんどんつながり、地球はま すます狭くなってきています。私が思うのは、仮に自動翻訳のような形で言語のシンギ ュラリティが起こったときにこそ、実は一番の格差が生じてしまうのではないかという こと。そうならないために、大きなパースペクティブで考える基礎体力を日本人はつけ ておかなければならないと考えています。 宮崎: インターネットやデジタルに関する本であると同時に、ある種の思想書でもあるという ことですね。本書を読んで「潮の流れ」をつかむ力をつけることが重要だと思いました 。 本 ポイントは就業先を子育てや介護、農業など地域の暮らしに不可欠だが、人手が足りな い分野に限定したこと。現役世代の仕事を奪うことなく、地域の活性化も実現できる。 市福祉政策室は「今後市内で毎年約4千人が定年退職し、会社から地域に戻ってくる。 リタイア組を重荷ととらえず、発想を転換して知識と経験が豊富な社会的人材だととら えれば地域活性化の原動力になる。まだ試験段階だが、長寿社会のまちづくりのモデル ケースをつくりたい」と説明する。 ■日本の「高齢化率」、世界中でトップ 社会の高齢化を測るとき、国際的に高齢化率が使われる。全人口に占める65歳以上人 口の比率のことだ。いわば65歳以上を高齢者として扱っている格好だ。日本の高齢化率 は10年度23%。世界の中でトップ。推計によれば2060年に39.9%となり、日本は人類史 上例のない高齢社会を迎える。65歳未満の現役世代だけでそれだけの高齢者を支えきれ るのか。そこで高齢者の定義の見直しがにわかに脚光を浴びている。 政府は7日に今後の高齢者施策の基本方針を示す高齢社会対策大綱を閣議決定した。 その中で高齢者のとらえ方の意識改革を図ると明記。固定観念を見直し、意欲と能力の ある65歳以上には社会を支える側に回ってもらう狙いだ。大綱をまとめた内閣府は「高 齢者も健康や経済状況は多様。『65歳以上=支えられる人』という認識は、すでに実態 とかけ離れている」と説明する。 大綱の見直しは11年ぶり。今回、ここまで踏み込んだのは現状の社会保障制度では将来 の高齢社会に財政上、耐えられないという行政側の思惑もある。ただ実際に65歳以上を 一律に高齢者とみることに違和感も残る。 ■65歳以上、毎年100万人ずつ増加へ そもそも高齢化率の算出法が国際的に定まったのは1950年代後半だ。当時の日本の平 均寿命は60歳半ば。65歳は長寿の入り口だった。だが、その後、寿命は著しく延びた。 横浜国立大学の関ふ佐子准教授は「日本の平均寿命はここ50年で約20歳延び、今や人生 90年時代。高齢者の区切りが人生65年時代と同じなのは違和感がある」と主張する。 今年以降、団塊世代が順次65歳を迎える。現状の定義だと毎年100万人ずつ高齢者は 増えていく。関准教授は「団塊世代側も自分たちが高齢者扱いされるのをよしとしない 機運もある。団塊世代は社会を支えるスキルも実行力も備えている。従来の高齢者像を 見直す好例を示してくれることを期待したい」と強調する。 ◇ ◇ ■元気な高齢者に活躍の場提供を 人がどれだけ元気で活躍できるかを知る目安に年齢がある。若いほど活動的で年を取 るほど健康を害し、周囲の助けが必要になる。だが寿命が延び、年を取っても健康な人 が増えるにつれ、一概に年齢だけでは人の元気度を測れなくなった。そこで人口学者の 間では従来のように何年生きてきたかで測るのではなく、あと何年生きられるかに着目 する動きがある。 例えば1955年当時の日本人男性65歳は平均余命が約12年だったが、2010年は約19年だ 。年齢は同じでも10年の65歳男性の方が元気で活動的だと想像できる。逆に10年時点で 平均余命が約12年の男性の年齢は74歳。つまり55年時点の65歳と10年の74歳は同程度に 元気だと推定できる。 国立社会保障・人口問題研究所の金子隆一副所長は平均余命を基に高齢化の推移を分 析している。55年当時の65歳男女と同程度に元気と思われる年齢(等価年齢)を歴年で 算出し、その年齢以上の人口が総人口に占める比率を等価年齢高齢化率と定義した。通 常の高齢化率だと日本は急速に高齢化するが、等価年齢高齢化率でみれば緩やかな上昇 にとどまる。 「加齢による衰えは個人差が大きいので高齢者に社会参加を一律強制はできない。だ が高齢者の増加をただ悲観するのではなく、平均寿命が延びた恩恵を享受できるように 高齢者が活躍できる場所を確保する対策が必要だ」と金子氏は強調する。 神座ヶ谷古墳は浜名湖の一番北部にあります。古墳を訪れる前は資料館や埋蔵文化セン ターを探して先にそこに行きます。土日に空いている館は「やる気のある館」といって いて、これでその市の観光や文化財に対する気構えがわかります。ここ「姫街道と銅鐸 の歴史民俗資料館」は、おもに「姫街道」と「藺草と畳表」と、そして「発掘された銅 鐸」の博物館です。姫街道というのは、東海道の関所の厳しい「女改」を嫌い、武家の 奥方や姫君が通行したようです。確かに今も古いきれいな町並みが残っていました。銅 鐸はみかんで有名な三ヶ日で発掘されたものをはじめ、浜松市内では24見つかってい るようです。 その一つ、神座ヶ谷古墳は55mの前方後円墳と円墳の2基から成り立ち、明るく展望の いい山の斜面にあり周囲が全部見渡せます。この辺りは浜名湖の一番奥で、津波が到達 することもあり過去の被害も大きかったようです。なぜ淡水湖であったはずの浜名湖が 、塩水の混じった汽水湖になってしまったかと言う疑問も解けました。1498年の明応大 地震で新しい口が開いて海水が入ることになったからです。古墳は山の中だからこれか らもずっと残っていくのでしょうが・・・。 宿泊したところが、 宮様のお屋敷を改造した修道院で、 部屋までは急な長い梯子が 掛けてありました。 私は夜中に廊下を歩いていて 足を踏み外し、 下まで落ちてしまったんです。 臨死体験 すぐにシスターたちが駆け寄って くれたらしいんですけど、 5時間くらい意識がありませんでした。 【曽野】 その間に臨死体験をなさったのね。 【鈴木】 気がつくと、 運ばれた病院の部屋の 真ん中に立っていて、 それを斜め上から見下ろしている もう一人の私がいました。 私が立っている下に台座があって、 その回りに筍の皮みたいな、 どうもそれは蓮の花だと 後で思ったんですけど、 それが一枚一枚落ちていく。 見ているもう一人の自分は 何とも言えないほど心地がいいんですね。 頭も冴えていて痛みはまるでない。 一枚落ちるたびに世俗的なことから 一つひとつ自由になっていく。 【曽野】 しがらみがなくなり自由になる。 最高の感覚ね。 【鈴木】 あと一枚落ちたら 完全に自由になるという時…… ※臨死体験は鈴木さんの 人生を大きく変えました。 この体験の中で、 鈴木さんは「命の源」 と思える存在から、 人生に大切な二つの ことを教えられます。 八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のことである。 新暦では8月25日ごろから9月23日ごろまでを移動する(秋分が旧暦8月中なので、早け ればその29日前、遅ければ秋分当日となる)。 この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった 。このことから、田の実の節句ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公 家の間でも、日頃お世話になっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味 で贈り物をするようになった[1]。 目次 [非表示] 1 各地の行事 1.1 熊本の八朔祭 1.2 福井の八朔祭 1.3 その他の地域の行事 2 ゆかりの食品 3 関連文献 4 脚注 5 外部リンク 各地の行事[編集] [疑問点 ? ノート] 熊本の八朔祭[編集] No-peacock.svg この節は大言壮語的な記述になっています。 Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2014年8月) 八朔祭の大造り物(熊本県山都町) 熊本県上益城郡山都町の浜町では、野山の自然素材を豊富に使った巨大な「造り物」が 名物の「八朔祭(はっさくまつり)」が、毎年、旧暦8月1日の平均に近い、9月第1土曜 日日曜日の2日間にわたって開催されている。この祭りは江戸時代中期から始まったと され[誰によって?]、田の神に感謝し収穫の目安を立てる日とされ、NHKなど全国ニュー スにも毎年取り上げられているほど有名な祭りである。 町の中心街を高さ3?4m、長さ7?8mにもおよぶ大造り物(山車 他にお囃子隊が同行) が数十基、引き廻される光景は実に壮観で、内外より多くの観光客や写真家を呼び込ん でいる。 祭りに合わせて放水する国の重要文化財、通潤橋(つうじゅんきょう)の姿は見事で、 夜には通潤橋の近くで花火も打ち上げられ、日頃は閑散とした山の町が遅くまで大勢の 観光客で賑わう。 造り物には順位が付けられ、浜町内の各町や団体が長年培ってきた技術、作品のテーマ や形にアイデアや知恵を絞り、競い合っている[2]。祭りの本格的な準備は約1ヶ月前か ら始まり、町内各地に、造り物の山車を作る小屋や番屋が立つ。 福井の八朔祭[編集] 福井県美浜町の新庄区では、五穀豊穣と子孫繁栄を願っておこなわれる。太鼓や笛のお はやしのなか、樽神輿をかついだ行列が田代公会堂を出発し、日吉神社まですすむ。こ の行列に続いて、男性のシンボルをかたどったご神体を持ったてんぐが進み、見物客の 女性をご神体(長さ約60センチの木製)でつつく。このご神体でつつかれた女性は子宝 に恵まれるといういわれがある。 [3]。 その他の地域の行事[編集] 京都市東山区の祇園一帯など花街では、新暦8月1日に芸妓や舞妓がお茶屋や芸事の師匠 宅へあいさつに回るのが伝統行事になっている。 福岡県遠賀郡芦屋町では、「八朔の節句」として長男・長女の誕生を祝い、男児は藁で 編む「わら馬」、女児は米粉で作る「だごびーな(団子雛)」を家に飾る行事が行なわ れており、300年以上続く伝統行事として、国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民 俗文化財の選択を受けている。 香川県丸亀市では、男児の健やかな成長を祈り、その地方で獲れた米の粉で「八朔だん ご馬」を作る風習がある。讃岐藩出身で馬術の名人として名高い曲垣平九郎に因んでい る。 香川県三豊市の旧仁尾町や兵庫県たつの市御津町室津地区など、歴史的経緯によって本 来は旧暦3月3日に行われる雛祭りを八朔に延期する風習を持つ地域も存在する。 徳川家康が天正18年8月1日(グレゴリオ暦1590年8月30日)に初めて公式に江戸城に入 城したとされることから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ祝日としていた[4]。明治改 暦以降は、新暦8月1日や月遅れで9月1日に行われるようになった。 山梨県都留市では八朔祭りが行われている。都留市の八朔祭りは毎年8月1日の八朔に行 われていたが、現在では9月1日に実施されている。都留市四日市場の生出神社(おいで じんじゃ)の例祭が発展した祭りで、本祭では神輿が渡御し、附祭では大名行列や屋台 が巡行する。江戸後期の天保年間にはすでに実施されており、現存する屋台後幕は浮世 絵師の葛飾北斎が手がけたとする伝承がある。 ▲ あなたの人間力を高める ▲ ─────────────── 致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.9.15 曼荼羅(マンダラ)というものがあります。 でも、それが何を意味するのか、 知っている人は少ないと思います。 弘法大師の法脈を嗣ぐ高野山真言宗の 管長を務められた松長有慶さんが 分かりやすく解説されます。 ────────[今日の注目の人]─── ☆ 弘法大師・空海の生き方 ☆ 松長有慶(高野山真言宗前管長) ※『致知』2016年10月号【最新号】 ※特集「人生の要訣」P68 ─────────────────── 曼荼羅は、多面的な価値観の 象徴なんですね。 21世紀のいまの社会は、 何かにつけて 一元的な価値観が最優先されます。 グローバリゼーションというのは、 まさにそれでしょう。 邪魔者は切り捨てろと言わんばかりに、 一つの目標に一目散に 突き進んでいるわけですが、 曼荼羅の世界観はその真逆です。 欠陥品や余計なもの、 邪魔なものを集めてきて、 一つの社会をつくる。 一つひとつを見れば欠点が多くても 全体を支える 掛け替えのない分担者であり、 それらが集まって 完璧な全体をつくり上げる、 というのが曼荼羅の世界です。 この考え方は、 人間一人ひとりのよさを生かし、 理想の世の中をつくる上では 非常に大事な思想だと思います。 ※曼荼羅を説いた弘法大師もまた、 そのような 心の広い人だったようです。 ーーーーーーーーーー 俳人小林一茶は温泉を愛し 、湯田中温泉などを訪れ、温泉に関する句を多く残している。 『雪散るや わきて捨てある 湯のけむり』 『山の湯や だぶりだぶりと 日の長き』 『永き日は 只湯に入が 仕事哉』 岬とカムナビと呼ばれる小山のことについて述べたい。いずれも、古来日本では 神とされてきた。、、、、 岬は古くから日本人に神秘的ななにごとかをあたえつづけてきた。、、、 出雲日御碕には、日御碕神社が鎮まっている。この岬が社殿をもっていることは、 すでに8世紀の「出雲風土記」に出ている。 一方、野にいる古代人にとっては岬などは無縁で、山こそ神であった。それも、小山で ある。 神体山の多くは野面ににわかにに盛り上がって裾をうつくしくひらくという端正な 姿をとっている場合が多く、その代表が大和の三輪山といっていい。 三輪山を神体山とする信仰はヤマト政権以前から存在した。8世紀に編まれた「古事記 」 の崇神天皇のくだりに、三輪山伝説が出てくる。、、、、 なんといってもカムナビヤマの理想的な形状は近江の湖東平野に、富士の雛形のように 孤立する三上山だろう。、、、孤立山は稲作農民が生きてい行くために絶えざる恵みを 与え続けてきたのである。 要するに、神体山に対しては、農民は暇さえあれば入って、お座敷でも清めるように落 ち葉 を掃きとってきた。このため山に腐葉土がなく、樹木としてのようぶんがなくなってい った。 こういう農民の営みが、神体山の多くを、赤松の山にしてきたのである。 赤松の適地は土壌が乾燥していることと、痩せ地であることである。 赤松の山は樹の性質として林間がすけていて、つまり疎林になるため、見た目も明るく 、 林の中も陽が当たっている。それにひきかえ、照葉樹の山は暗い。遠くから見ても 雲がわくように茂り、樹の下は木の下闇になっていて、地面は腐葉土のためにじめじめ している。 「照葉樹林は、人間が利用のために伐採など人為的撹乱をすると落葉広葉樹林に遷移し てしまう場合もある。また現在は開発やスギ、ヒノキなど針葉樹の植林などによる人工 林への置き換えによって、その大部分が失われてしまっており、まとまった面積のもの はほとんどない。 以上のような事情もあり、現在では社寺林として残っているものが大半である。こうし た照葉樹林社叢の中でも香川県琴平の金刀比羅宮の社寺林は面積が広いことで知られて いる。また、日本海側の海岸地帯ではタブノキを主要樹種とした照葉樹林の社叢が点在 するが、これは、対馬暖流と多雪というこの地域の自然環境の影響である。なお、社叢 を構成する樹種として、クスノキが目立つが、クスノキは本来日本列島に自生していた か判然とせず、東アジア大陸部を原産とする史前帰化植物の可能性が高い。」 すると、ミスターのゴマ塩色の頭が、カウンターの上に大きく浮かび上がる。 彼は物思いから覚めて、彼女の方に目を向けようとする。青い目。 かすみのかかった眼。小春日和がそれとわからぬほど徐々に秋に移っていく ように、ゆっくりと、彼は彼女の方を見る。網膜と対象との間、視力と目前の 眺めとの間で、眼はたじろぎ、ためらい、宙をさまよう。時間と空間のある時点 で、彼はわざわざ一瞥必要はないと悟る。彼女の姿は目に入らない。彼にとっては 見るものがないからだ。口にはまだジャガイモとビールの味が残っており、 心は雌鹿のような眼をした処女マリアに憧れ、たえず損をしている意識に 感受性を鈍らされた52歳の白人移民の店主に、どうして小さな黒人の少女 の姿が見えよう?これまでの生涯で、そんな芸当が出来ると思ったことは 一度もなかった。ましてや、そういうことがのぞましいとか必要だとか言う 考えは、浮かんだことすらなかった。 彼女は彼を見上げ、本来なら好奇心が宿るところに、空白しかないのを 見る。それから、それ以上のものを。つまり人間を認めようという意識の完全な 欠如、ガラスをはめ込んだように隔絶した感じ、を見る。 彼の視線を宙ぶらりんにしているものが何か。彼女にはわからない。 しかし、彼女はこれまで、大人の男の目の中に、、興味や嫌悪や、怒りさえ 見たことがあった。それでいて、この空白はなじみのないものではない。 それにはとげがあり、瞼の底には嫌悪がある。、、、 彼の爪が、彼女のしめった掌に軽く触れる。、、、、 ピコーラは歩道の割れ目につまずく。怒りが心の中でうごめき、目を覚ます。 それが口を開け、口の熱い子犬のように、恥にまみれた傷口を丹念になめてくれる。 81 彼女の話はみんな、食事の描写で腰砕けになってしまう。ピコーラは、マリーの 歯がかりかりのすずきの背肉にかみついていくところを見、太った指が くちびるからはみ出した熱くて白い肉の小さな切れ端を口の中に押し込むのを見た。 また、ビールビンの蓋が抜けるときのぽんという音を聞き、最初に吹きあがってくる 苦い風味を嗅ぎ、冷たいビールの味が舌に触れるのを感じた。 1 くもりガラスを手で拭いて あなた明日(あした)が見えますか 愛しても 愛しても ああ 他人(ひと)の妻 赤く咲いても冬の花 咲いてさびしい さざんかの宿 2 ぬいた指輪の罪のあと かんでください 思いきり 燃えたって 燃えたって ああ 他人の妻 運命(さだめ)かなしい冬の花 明日(あす)はいらない さざんかの宿 3 せめて朝まで腕の中 夢を見させてくれますか つくしても つくしても ああ 他人の妻 ふたり咲いても冬の花 春はいつくる さざんかの宿 《蛇足》 昭和57年(1982)のヒット曲。 昭和39年(1964)にヒットした『おんなの宿』(唄:大下八郎)と同じく不倫の歌で 、シチュエーションも似ています。『おんなの宿』が女性の立場から歌っているのに対 し、これは男性の立場から歌っているという違いはありますが。 『おんなの宿』が伊豆の温泉を舞台にしているせいか、この「さざんかの宿」も伊豆 のどこかという気がします。しかし、別の温泉地を思い浮かべる人もいるでしょうね( ^_-)。 不倫という言葉も、すっかりインパクトがなくなりました。 作曲の市川昭介は平成18年(2006)9月26日死去。73歳ではちょっと早かったなァ。 おもな作品に『アンコ椿は恋の花』『好きになった人』『涙の連絡船』『ふたりの大 阪』『大阪しぐれ』など都はるみの歌のほか、舟木一夫の『絶唱』、五木ひろしの『細 雪』などがあります。
2016年10月7日金曜日
日々の記録35(インターネットの次に来るもの、高齢者とは、臨死体験、八朔
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