人口変化,さすがマップ化されるとよく分かる http://www.nikkei.com/edit/interactive/population2014/map.html ブラタモリの鎌倉編を見た。 鎌倉石と言う加工のしやすい石材で作り上げた街。鎌倉は小山が多い街でもある。 材木海岸は遠浅で船着場としての活用が難しい中、和賀江島という人工の港を 1ヶ月で作り上げた。幕府の力は強かったのだろう。その影響で八幡宮を境にして 土地の高低差が大きくなった。砂丘となって市街地に寄って来たからである。 余り知らない鎌倉があった。詳細は別のページに金沢とあわせて、ある。 一瞬、すべてが自分の周りから消えた。目の前のずんぐりした身体に申し訳なさそうに 張り付いている頭の毛とその下にあるどんより曇った目、派手なピンク縞のネクタイ、 白く光る中に消えた。体がゆらぎ、手と足の先が見えない。今日は黒の革靴 だったんだけ、そんな考えが頭を支配していた。 そして、急激な感情が足元から突き上げてきた。俺はくびになったんだ、人生も 終わりだ。妻と啓太の顔が目の前に大きく写り、直ぐに消えた。目の前の常務の 口だけが動いている。金魚がえさを食べる時のようにただただそれは閉じたり 開いたりしているだけ。断片的に「明日から、、、、」 「和邇君どうした、、、」「まあ、君も頑張った、、、、」が聞こえてくる。 再び、あのどんよりした目と脂に汚れた歯だけが目の前に現れてきた。 それに向って私は言った。 「いつからですか」「わかりました」 冷静に答える自分がいた。周囲は既に何時もの部屋に戻り、目の前には何時もの 人間が愛想笑いをしながら立っていた。 ピンク色の小ぶりの花が幾重にも重なり合うように五月が庭を覆っている。その花に 一粒、二粒と雨がかかってくる。道路にもその水跡が初めは現われては消えていたが、 やがて小さな水模様となり次第に大きくなり、道路は水面となる。五月の周りある 紫陽花の葉、その花はすでに枯れ落ちているが、も降り落ちる雨に洗われる様に 先程より一段とその緑が映えていた。すでに、ポーチにも水が薄い膜を張るかの 如く雨が降り注いでいた。ガラス戸には、その雨が降り注ぐたびに一すじづつ その軌跡が下へと続いている。少し目を上げれば、薄い光を含んだ雲間から幾筋もの 雨が注いで来るのが見えた。遠く琵琶湖は薄明かりの中で、八幡山や三上山の 灰色の姿を背景に静かな水面をたたえている。静寂という言葉が似合う情景に 思わず、ごくりとつばを飲み込んだ。雲の流れが少しづつ早くなっているのか、 黒く重たい雲が次第に私の前に現われてきた。 「今日は、もっと雨になりそうだな」思わず、気持が言葉になった。 午後の晴れと言う気象予報に期待していた私にとって、最悪の状態になりそうだ。 気持がさらに落ち込むのが感じられた。 5月の連休最中である。 世間では多くの人が何か楽しみを見つけようと動いているのだろう。 しかし、我が夫婦は少し違う。 先ずは、365日連休のような年金生活者となったからである。 さらに、人の多さが苦痛となって来た年齢であるからだろう。 代わりに、自然の中で過ごす事に幸せを感じる年齢になったからでもある。 今日は、雨の日。先日までの青空と強い陽射しはそれなりに素晴らしい日々を 与えてくれるが、このしっとりとした静けさは老夫婦にとって、恵みの雨でもある。 比良山は雲の中に顔を隠し、琵琶湖も遠い鈴鹿連山や八幡の山々が霞む中、 湖面の灰色と共にその静けさを漂わせている。気のせいか通り過ぎる車も 柔らかく微妙な音感を周囲に発しながら、この静けさに一種の高まりを与えていく。 2人の周り全てがゆるゆると流れる時間の中で進んでいるようだ。 我5人の同居人たちも夫々の思いや夢を描きながら、それぞれの姿でこの静けさを 味わっている。チャトはいつもの如く窓辺のソファーに、ナナは二階の ママのベッドでお休みし、ライはレトと共にテーブルの椅子でノンビリと 毛繕い、ハナコも最近の生活パターンとなった二階の主人のベッドにナナに 睨まれながらも、堂々と寝ている。ママは小雨の中、芝桜やまだ咲かぬ紫陽花 に想いを込めながら小さな草花をいじっている。主人は、何をするのでなく、 漫然と庭の梅ノ木に滴り落ちる小雨の露をみている。 燕が一羽、軒先に飛んできた。新しい巣でも造ろうとしているのか、忙しく 羽を動かし、周囲を見回している。その羽音に気付きチャトが上目遣いに 燕を見ていたが、この静かさを破りたくないのであろう、その三角眼を 再び閉じていく。燕が飛び去った後には、しばらく音がこの家から消えた。 初夏の陽射しはきつい。眼を閉じその奥にある眼球までその光りが差してくる。 少し眼を開けると、その先にあるのは白く輝く蒼い空とそれを取り囲むかのように 風に揺られる緑の葉の群れである。 さらに細めた視線を下に向ければ、そこには数ヶ月前まで咲き誇っていた白の 西洋芙蓉や赤いガーディアン、さらには小粒のさくらんぼの白い花、全てが 消え去り、緑色一色に変わり、わずかな風の動きに合わせて様々な緑の模様を 描いている。中天からふり降りる強い光の中で、緑色に塗られた世界ですべて がその生命を謳歌している様でもある。 私の身体にも差すその光りはその暑さと共に、生きるためのエネルギーも与えて くれている。同時に、わずかな空気の流れが頬をなぜ、少しながらの安らぎを 与えてくれる。私と太陽の間を遮るものは何もない。 だらりと下げた指の先にわずかな動きを感じるが、多分、チャトなのであろう。 わずかにできた日陰の中に身を横たえ、私に寄り添うように寝ているはずである。 いつもそうなのだ。彼との付き合いは長いが、それがそろそろ終末を迎えよう としている。私にも、猫の予知能力が移ってのか、それともチャトの予知能力を ただ感じ取ったのであろうか、多分、後者のような気がする。彼も残された 日々を私と過ごしたいのかもしれない。 ハーブは薬草でもあるが、料理のスパイスにもなる。しかし、これらを使って料理を するとか、何かの薬を煎じる事など考えもしない。ただ、全部ムラサキ色で庭が 咲き乱れた情景を思えば何かしたいという気持は起こる様だ。 ローズマリー、ポリジ、タイム、イリスバリダ、セージ、アマ、フレンチラベンダー、 ムラサキハナナ。 夢から引き戻されるように、朝の光りをまぶたに感じた。薄く開けた眼の先に軽く 流れるような朝日が窓辺に差し込んでいる。今日も天気だ、と思いつつまだ夢の中 にいたい。このまま起きると昼間がきついな、と半ば念じるような思いで眠りに 入ろうとする自分が居る。傍では、妻がナナにあっちにいって、もう少し眠りたいの、 とうわ言のように喋っている。たぶん、夢うつつの中でナナと会話をしているので あろう。窓辺にかすかな影が動いている。部屋の外では、ライとハナコが大きな声で 何かを求めるように歩き回っている。多分、朝の食事がしたいのであろう。 人間とは違う習慣の猫たちは朝夕関係なく私たちに様々な要求をしてくる。 夢と現実の中で、行きつ戻りつ今日もまた朝を迎える。 ペットの高齢化が進んでいると言う。 日本では、今、犬猫合わせて2000万人の犬猫が居ると言う。この数字がどんな 形で把握できたのか分からないが、野良猫の多さを考えるとさらに多いのであろう。 飼っている人の比率では、50代が44.5%、40代が37.2%、60代が 36.4%と言われている。50代が多いのは少し意外だが、かなりの家でペットは 飼われ、しかも食糧事情や日本人の特性から家族の一員として大事にされる こともあり、高齢化が進んでいる。昔は、10数歳で亡くなるのが多かったよう であるが、今は20歳前後(人間で言えば、90歳)のペットが増えている。 このため、人間並みの介護が行われており、デイケアーサービスや歩けなくなった ペットのための義肢具など、要介護度のレベルに応じた様々な介護サービスがある。 まさに人間の高齢者サービスがペットにも同様にビジネスとしても成り立つ社会なので ある。 これはキリスト文化の世界のペットと人間の主従関係ではない、日本の家族意識化 の現われでもある。人の高齢化が進む中、よき伴侶としてペットは益々その必要性 を高めていくであろうし、たとえば、ペットと一緒に住める特別養護施設もある。 『梁塵秘抄』は、後白河法皇(1127-1192)によって、嘉応(かおう)元年(1169年) 頃にそのプロトタイプが完成し、1180年前後に補筆されたと考えられる、今様の歌詞集 全十巻と口伝集全十巻のことである。(口伝集第十一巻から十四巻も発見されているが 、歌い方や伝承など編纂前の印象もあり、解読も困難で、後白河法皇と直接関わりがあ るのか不明である)そのうち、現存するのは歌詞集が巻第一の一部(309首のうち21首 )、巻第二(545首)、口伝集が巻第一の断片、巻第十(後白河法皇の今様歴)となっ ている。 題目の『梁塵』とは、「梁(うつばり)の塵(ちり)」の意味で、虞公(ぐこう)・ 韓娥(かんが)という歌の名手が歌うと、人々はなみだを流し、柱の上に掛ける横木( 梁・うつばり)の塵さえも響きに呼応して、三日の間静まらなかったという中国の故事 に由来する。 『梁塵秘抄』と言えば、 「近江の湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし、何ぞの海、常楽我浄の風吹けば、 七宝蓮華の波ぞ立つ」 第二に収められた有名な歌である。 近江の湖、すなわち琵琶湖は、常楽我浄の風が吹き、七宝蓮華の波の立つ、天台薬師の 聖なる池だ。天台薬師とは、天台宗総本山延暦寺のある比叡山こそ日本の天台山であり 、 根本中堂の本尊は宗祖最澄が自ら刻んだという薬師如来立像であった。薬師如来の いる東方瑠璃光浄土にあるべき宝池が、現実の琵琶湖の風光に二重写しになっている。 「誘給べいざたべ隣殿,大津の西の浦へ雑魚漉すきに、此の江に海老無し彼の江へ 往坐いませ、海老混じりの雑魚やあると」 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえ こそ動がるれ。 舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、 真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん。」 のような童心の歌が有名であり、あるいは 「東屋(あづまや)の妻とも終(つい)に成らざりけるもの故に、何とてむねを 合せ初めけむ。」 のように艶っぽいものもある。 しかし、数の多くを占めるのは 「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、 ほのかに夢に見え給ふ。」 のような法文歌である。また、神社への道行や、風景を歌ったものも多い。 337 天魔が八幡に申すこと 頭の髪こそ、前世の報にて生いざらめ そは生いずとも絹蓋長幣なども奉らん 呪師のまつりぬとただ秘せよ しないたまえ (訳) 天魔が八幡神にこう言った 「その頭がつるつるなのは 前世の報いでハゲたんでしょう 髪の毛なんか生えなくたって 絹蓋や長幣を着せて豪華にしてあげましょう 呪師が奉納したんだと言って 人には秘密にしておきなさい お取りはからいなさい」 425 聖の好むもの 比良の山をこそ尋ぬなれ 弟子やりて 松茸、平茸、滑薄 さては池に宿る蓮のはい 根芹(ねぜり)、根ぬ菜(ねぬなは)、牛蒡(ごんぼう) 河骨(かわほね)、独活(うど)、蕨、土筆(つくづくし) (訳) 修験者の好物なら 比良の山で探すといいよ 弟子をやって 松茸 平茸 榎茸 それから池底の蓮の根っこ 芹の根にじゅんさい ごぼう 河骨 うど わらび つくしんぼ 梁塵秘抄の歌集 http://homepage3.nifty.com/false/garden/kuden/index0.html ソーラー飛行機 3月に中東のUAE=アラブ首長国連邦を出発した太陽光発電だけで飛ぶ飛行機が、中 国・南京に到着して、地元で盛んな歓迎を受けました。化石燃料を使わない飛行機によ る世界一周に成功すれば世界初の快挙で、飛行機は今後、世界一周に向けた山場ともい える太平洋横断に挑戦することになっています。 この飛行機は、2003年からスイスで開発が進められてきたもので、3月9日にUA Eのアブダビを出発し、およそ5か月かけて世界一周する計画です。 飛行機は1人乗りで、ジャンボジェット機に匹敵する72メートルある両翼に取り付け られた1万7000個余りの太陽電池を使って、4基のプロペラを稼働させ、最高速度 は時速140キロということです。 4月21日の早朝、5か所目の経由地中国内陸部の重慶を出発し、1300キロ余り飛 行して、その日の深夜に南京の空港に到着し、盛んな歓迎を受けました。 計画の発案者で、飛行機を操縦するスイス人の冒険家、ベルトラン・ピカールさんは、 「16時間飛行して、半分は夜間だったが電池も十分あり、あすにも飛行できる 状態だ。この技術が飛行機だけでなく、あらゆるところに活用できることを知って もらいたい」と述べました。 次の経由地はハワイで、5日間連続して飛行することから、世界一周に向けた大きな山 場ともいえます。出発は5月上旬の予定ですが、飛行機は雷や暴風雨に遭うと墜落する おそれもあることから、飛行に適した気象状況を慎重に判断して出発日を決めることに しています。 目的は再生可能エネルギーの本格的利用 プロジェクトを提唱したのは、1999年に気球による無着陸世界一周を達成したスイ スの冒険家、ベルトラン・ピカール氏で、環境に優しい再生可能エネルギーの本格的な 利用を実現することが大きな目的です。 プロジェクトの総予算はおよそ1億5000万スイスフラン(日本円にしておよそ19 0億円)で、民間企業が出資したり、スイスの大学などが技術支援したりしています。 太陽光発電だけで飛ぶ飛行機「ソーラー・インパルス2」は、飛行機の両翼の長さはジ ャンボジェット機に匹敵する72メートルあり、最高速度は時速140キロということ です。 機体に1万7000個余りの太陽電池を貼り付けて、日中に余った電気を小型で軽量な リチウムポリマー電池に蓄えて、夜間の動力源にすることができます。 完全に充電できれば、曇りや雨の場合でも10時間程度飛行できるということです。 操縦室は、大人1人が乗り込むのがやっとの広さで、暖房や気圧を調節する装置はあり ません。 食事は特別に作った流動食で、操縦席で済まさなければならないほか、トイレは操縦席 の下に備え付けられ、密封性のある専用の袋を利用しています。 飛行ルート 3月スタートした今回のフライトでは、ベルトラン・ピカール氏とパイロット経験のあ る事業家アンドレ・ボルシュベルグ氏の2人が、1人乗りの飛行機を経由地で交代しな がら操縦しています。 「ソーラー・インパルス2」は、3月9日にUAE=アラブ首長国連邦を出発し、イン ドやミャンマーなどをへて、4月21日に6番目の経由地中国・南京に到着しました。 これで7300キロ余りを飛行したことになりますが、まだ全体の5分の1で、世界一 周を達成するまでには2万8000キロ近い道のりが残っています。 飛行機は今後、南京を出発し、これまでの総飛行距離を上回る8172キロを飛んでハ ワイに向かう予定で、その後もハワイを経由しての太平洋横断や、ニューヨークからの 大西洋横断など、最大で5日間にも及ぶ長時間のフライトが予定されています。 前人未踏の挑戦は早速、山場を迎えることになりそうです。 ソーラー飛行機 挑戦は日本でも 太陽光で発電したエネルギーで飛び続ける、ソーラー飛行機を実現させるための挑戦は 、日本でも進められています。 東京・青梅市の航空エンジニア、四戸哲さんのグループは3年前から、日本初の人が乗 れるソーラー飛行機の開発に取り組んできました。 開発中の機体は、全長およそ9メートル、翼の幅はおよそ17メートル。 木や発泡スチロール、それに炭素繊維などの軽い素材でできていて、重さは原付バイク 1台分ほどの80キロほどしかありません。 翼一面に張り巡らした太陽光パネルによって、ヘアドライヤー1つ分ほどの消費電力に 当たる700ワットの電気を起こします。 この電力でプロペラを回して、自力で離陸し、飛行を続けることを目指しています。 機体が完成した去年、福島県の飛行場で車で引っ張って加速し、機体をグライダーのよ うに飛ばすテストを行いましたが、横風にあおられ、バランスを崩して失敗。 このときの教訓から、四戸さんは横風でも機体を制御できるよう翼に改良を加え、こと し中の成功を目指しています。 四戸さんは、規模の違いこそあれ、自分たちと同じ挑戦を行っているソーラーインパル スの動向を固唾を飲んで見守っています。 四戸さんは、「これまで世界中でさまざまなチャレンジがありましたが、ソーラーイン パルスがその最先端を走っていると思います。 日中に発電して貯めた電気だけで夜間も飛び続けるという、技術は非常に 高いものです。 彼らのチャレンジを支える文化的な背景もあり、やりたいことを思いっきりできている のが羨ましい」と話していました。 四戸さんのプロジェクトのメンバーは、航空工学を専攻する高等専門学校の生徒や大学 生などおよそ10人。 小型飛行機の設計から製作までをこなす四戸さんの技術を学ぼうと、ときには泊まり込 みで作業を進めてきました。 機体の製作や操縦を担当するサレジオ工業高等専門学校の卒業生、横山慎二さんは「も のづくりには、技術も勉強もどちらも必要だということを、四戸さんから教わり ました。 ソーラーインパルスに対しては、ライバルや憧れというよりも、本当にすごいなと感じ ます。自分たちの挑戦は比べものにならないくらい小さいですが、自分たちの力を試し たい」と話していました。 四戸さんは「自分たちのプロジェクトは若い世代に関心を持ってもらい、チャレンジで きる環境を提供するのが趣旨で、そういう環境さえあれば、あとは自然に育って いきます。 若い世代にものづくりの合理的な考え方を教えるのが、僕の使命だと思っています」と 話しています。 蓮如上人御一代記聞書 「南無阿弥陀仏」の教えが、多くの人に伝わったのは、 五百年程前、蓮如上人のご苦労が大きいといわれます 蓮如上人の日頃のお言葉を記録した 「蓮如上人御一代記聞書」の現代語版が、 この度、新しく発刊されました。 内容は、浄土真宗の教義、倫理、生活、儀礼などにいたるまで、 懇切に興味深く記されていますが、全体を通しての主題は 「他力の信心」 を 得ることが、いかに大切で あるかに、尽きるといってよいでしょう。 お念仏の喜びを味われた、南無阿弥陀仏の 生活を体験された方、蓮如上人の、有難い記録です。 蓮如上人御一代記聞書き現代語版より 本願寺出版社 平成11年発刊 蓮如上人御一代記聞書 (一) 勧修寺村の道徳が、明応二年の元日、 蓮如上人のもとへ新年のご挨拶にうかがったところ、 上人は、「 道徳は今年でいくつになったのか。 道徳よ、念仏申しなさい。 念仏といっても自力と他力とがある。 自力の念仏というのは、念仏を数多く称えて 仏に差しあげ、その称えた功徳によって 仏が救ってくださるように思って称えるのである。 他力というのは、弥陀におまかせする信心が おこるそのとき、ただちにお救いいただくのであり、 その上で申す他力の念仏は、お救いいただいたことを、 ありがたいことだ、ありがたいことだと喜んで、 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すばかり なのである。 このようなわけで、他力というのは他の力、 如来の本願のはたらきという意味である。 この信心は臨終まで続き、浄土に往生する のである 」 と 仰せになりました。 (二) 朝の勤行で、『高僧和讃』 の 「 いつつの不思議をとくなかに 」 から 「 尽十方の無碍光は、無明のやみをてらしつつ、 一念歓喜するひとを、かならず滅度にいたらしむ 」 までの六首をおつとめになり、 その夜、蓮如上人はこれらのご和讃のこころに ついてご法話をされたとき、『観無量寿経』 の 「 光明はひろくすべての世界を照らす 」 という文と、 法然上人の、 月かげのいたらぬさとはなけれども、 ながむるひとのこころにぞすむ 月の光の届かないところは一つとしてないが、 月はながめる人の心にこそやどる。 という歌とを引きあわせてお話しになりました。 そのありがたさはとても言葉に表すことができません。 蓮如上人が退出された後で、実如上人は、 前夜のご法話と今夜のご法話とを重ねあわせて お味わいになり、「 まったくいいようのないありがたい ご法話であった 」 と仰せになり、上人の目からは とめどなく涙があふれ出たのでした。 3Dプリンターが生み出す地域活性 デジタルモールドで作る製品は多品種だけれど小ロット。そんな組み立てラインはなか なかどこの工場も引き受けてくれないという問題がありました。そこに、地元に歴史深 いスワニーに近所のお年寄りから声がかかりました。「月に一万円でもいいから毎日何 かできる内職はない?」そんなニーズがあったのか! と、シャッターが増えていた商店 街の空きスペースを利用して「内職ワークスペース」を設置しました。 長野県の小学新入生に無料で配る防犯ブザーを地元の大人が作るというコンセプトでス タートし、現在組み立てをやってくれる内職者は80名ほどの登録があるそうです。商店 街に来る予定がなかった40人ほどが毎日通うというだけでも活気が沸くことでしょう。 耐久性がなくて数がこなせない。でもはるかに安くて短時間で簡単に出来る。そんなメ リットを最大限に活かしたデジタルモールドは地域活性化にも役立っています。失敗を こなして新しいことに挑戦する。そんなスワニーの姿勢が産業界の革命へとつながりま した。 *補足: 産業用3Dプリンターの一般的利用方法 産業界のものづくりに馴染みがない読者のために、3Dプリンターがどこに使われている か少し補足です。一般に3Dプリンターが使われているのはプラスチック部品などの開発 途中の試作品です。まずCADという設計ソフトでアイデアを形にして、最初のプロトタ イプ1を3Dプリンターで作ります。3Dプリンターには実際の製品の材料が使えないので ここではあくまで形の確認がメインです。 プロトタイプ1が合格したら次に実際の材料を使って耐久試験と呼ばれるようなテスト をしないといけません。なので金属などで作るモールド(鋳型)と言われる型を 作ります。 型が出来たらプロトタイプ2を作ります。最終製品としての手触りや機能、耐久性のテ ストをします。 ダメならまたCADに戻って描き直しをします。 そしてプロトタイプ1,2へと繰り返します。 だいたい3,4回は繰り返して、やり直しの度にこのモールドを作り変える必要 があります。 モールドを作るには数日がすごくかかります。早くても数日から数週間、小さいもので もコストが何十万円もかかります。 ちょっと考えるべきたび企画のサイト。 http://ridilover.jp/ さまざまな場所で問題が解決せず、人々を苦しめ続けている 原因のひとつに 「構造的な社会への無関心」 があります。 リディラバは、その無関心を生み出す構造を解消するために、 「社会問題を知ることのできるツアー」 を立ち上げました。 このツアーに参加すれば、社会問題の現場に自ら訪れることができ、 そして、そこで知ったことを、私たちの提供するメディアで発表することができます。 さまざまな問題を知り、そして、それを発信できる場ができたことにより、 社会問題に対するアクションを起こすことはより簡単になりました。 リディラバでは、これからも、もっと気軽に、社会に存在する課題に 「情報を知ることができ」 「現場に訪れることができ」 「解決方法を考えられる」 環境をつくり、社会問題に対して興味を持ってもらえる社会を実現します。 さらに、リディラバが運営している投稿サイトにTRAPRO(トラプロ)がある。 その中から、社会事情について、 「1980年代の新聞を読むと意外とおもしろい。ここでは1980年代の新聞記事を引用して 紹 介していきます。 働き過ぎ・遊び過ぎ ? 睡眠不足増える 日本人は宵っぱりで、成人の3人に1人が睡眠不足?NHKの世論調査部が昭和35年から5年 に1回実施している「国民生活時間調査」の昭和60年度の調査結果が、2月28日まとまっ た。それによると、夜ふかしをする人が前回調査より増え、平均睡眠時間は平日で前回 より9分短い7時間43分。 (読売新聞:1986年3月1日) 【意見・感想】 7時間43分と聞くとたくさん寝てるという印象を感じてしまいます。実際、2010年のNHK の調査では平均睡眠時間は7時間14分となっており、25年でさらに30分近く短くなって いるそうです。 昨今では短眠法が注目されたりと睡眠時間を削ってやりたいことをやるという志向が増 えていたり、睡眠は習慣であり長短は関係ないという意見もあったりしますが、この短 眠傾向が良からぬ結果を招くのではないかと懸念しています。 親子の同居志向強まる 親子は、同居か、同居しない場合も近くに住みたいと考える人が親子とも約8割を占め しかも子の若い世代ほどそう望んでいることが、3月20日、経済企画庁がまとめた「 長寿社会へ向けての生活選択」調査で明らかになった。 (読売新聞・朝日新聞:1986年3月21日) 【意見・感想】 1986年に同居志向が強まっていたというのは驚きである。 しかし現実には、1986年以降三世代世帯は減少傾向にある。 (参考:年々増える核家族と一人身世帯…種類別世帯数の推移をグラフ化してみる http://www.garbagenews.net/archives/1344618.html) 2012年現在、同居志向の人はどれくらいいるのだろうか。 新人類は”フリーアルバイター”志向 フリーアルバイターということばをよく見かけるようになった。学校を卒業しても会社 に入らなかったり、入ってもすぐに退社して、アルバイトで生活している若者たちが、 自分たちのことをそう呼び出したのが始まりらしい。 (読売新聞:1987年11月7日) 【意見・感想】 フリーター(=フリーアルバイター)という言葉は20年ですっかり定着しましたね。 この時代は自己選択でフリーターを選ぶことが多かったらしく、現代においてもその印 象でフリーターも捉えられてしまっている部分はあるのではないかと思います。 生活に満足68%?総理府世論調査 生活への「満足度」「充実度」「中流意識」のすべてで、女性が男性を上回っているこ とが、総理府が11月2日発表した「国民生活に関する世論調査」で分かった。 (読売新聞・東京新聞:1987年11月3日) 【意見・感想】 タイトルを見ると、当時の生活満足度の高さがうかがえる。 (別団体調査になるが、2007年の調査では満足度は46.2%となっている。 http://www.research.nttnavi.co.jp/304z/701koufuku.html) 生きがい新旧格差 20歳代の社員ほど、家族を犠牲にして仕事に打ち込むことに否定的であり、生きがいを 仕事以外に求める人が3分の1を占めている?日本能率協会が11月24日発表した「生活意 識多様化調査」で20歳代と40歳代の「新・旧対比」がはっきりした。 (朝日新聞:1987年11月25日) 【意見・感想】 1987年の20歳代というと、2012年現在40歳代だと思うが、実感値として家族を犠牲にし て仕事に打ち込む40代が多い印象を受ける。 それは立場によるものもあるかもしれないが、例えば「残業後に会社チームで飲み会に 行く」「会社のゴルフ大会に精を出す」など、生きがいを仕事に求める人が多いのでは ないだろうか。 近年取られるアンケートでも20代の仕事離れが進んでいるという話題がたびたび取り上 げられるが、20年後には立派に仕事人間になっていると思うので、あまり問題視する必 要性はないのかもしれない。」 約30年前の社会事情だが、現状はどのように変わっているのだろうか? 温故知新と言うように、古き時代から今を見直すのも、中々に参考となる。
2016年10月9日日曜日
日々の記録9(梁塵秘抄、ソーラー飛行機、蓮如上人御一代記聞書、3Dプリンターの 地域活性化、リディラバ)
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