2016年10月7日金曜日

日々の記録19(ファブラボ、人間神様、今森光彦、ブラタモリ

ソーシャルメディアの本質
http://diamond.jp/articles/-/80727

最近のファブラボ
https://fabcross.jp/topics/research/20151113_fabspace.html

6人の人間神様
伊福八幡神社で400年続く祭事、屯宮祭。雲仙市普賢岳麓、有明海の見える地域。
8月29日の風除際に宮司によって選ばれた6人の神様が神無月の1ヶ月だけ
そのお勤めを行う。選ばれた6人は神社に籠り、神様として三日間その役目を
果たす間は、会社も休み、選ばれた当初は戸惑いが見られたが、自分の乗る
神輿作りから徐々にその気になり始める。祭り当日は酒をたっぷり飲み、陽気に
、寝ながらもその役目を果たしていく。その変化が面白い。
ここでは国家神道などと言う大袈裟なものはなく、単に地域の皆と楽しく
神を感じる、それが日本の神のあり方かもしれない。
http://osumituki.com/event/32737.html

今森光彦氏の講演を聞いた。
仰木の里に住み、里山の風景を撮っている。棚田のような(段々畑と言うとの
ことだが)その美しさやその変わり様を四季を通じた中で、捉えている。
畦道にある石仏が棄てられ、畑の姿も整備事業で変わっていく。
日本の里山として8年間を撮り続けているが、NHKの里山シリーズや
新日本紀行などでも同様の事をしてきた。
仰木の里は古い、先ごろ百年祭をしたという。小さな鎮守の森に世話人が
集まり、神への感謝をささげると言う。
http://www.nhk.or.jp/eco-channel/jp/satoyama/interview/imamori01.html
「環境」を伝えることへのこだわり
日本中の風景が激変したように、僕の故郷の琵琶湖の風景も大きく変わって
しまいました。それが自分にはすごいダメージで。
雑木林が突然なくなったり、道路整備で田んぼがなくなったり。そんな
ことばかりです。
よく「絶滅危惧種」っていうけれど、里山の生き物が絶滅危惧種になるのは、
その生き物が生きていた「環境」が無くなるからですよね。無くなるなら、
撮るしかない。そうやって自分が生まれ育った琵琶湖の風景を撮りだしたんです。
だから僕の作品は、「環境」を伝えることへのこだわりが強い。被写体として、
生き物以上にその生き物と人が活躍する「環境」を作品として美しく見せたい。
そういう気持ちがあります。
「映像詩 里山」シリーズでも、そのことにずいぶんこだわりました。
特に最初の『映像詩 里山 ~覚えていますか ふるさとの風景~』では、
撮影中にNHKのスタッフとずいぶん議論しました。ちゃんと構図を決めるのは
もちろん、光のことも考えるんです。
5分だけしか現れない一瞬の光を待って、その風景を撮影するんです。
だから作品には、当時のテレビの映像と比べて、ずいぶん違う雰囲気の映像が
散りばめられていると思います。


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       砂浜を行きかう犬の顔を見ていると、我が家の5人の猫と犬のルナのことが
思い出される。犬猿の中とは言うが、犬猫の中もしかりで、結局彼らが
仲良く過ごすことはなかった。大分前のグンの時は、ナナもトトも仲良く
じゃれあっていたから、犬猫すべてが敵対しているわけではないのだろう。
歳のせいかもしれないな、そんな思いがわいてきた。ルナは三歳、グンが猫たちと
混じあったのは、14、5歳であった。人と同じか、少し年齢を重ねないと
お互いが理解できないかも、砂浜で戯れる人と犬の姿を見ながら、彼は
自分なりに納得した。
犬と猫との違いはどこにあるのだろう、ふと思いもかけぬ疑問が浮かぶ。
昔失業し、離婚され、一人寂しく旅をして行く男に死ぬまでともに過ごす
犬の映画を見たことがある。思わず涙を誘うことであったが、かように
犬は人間とともに過ごすことを当然としている。しかし、猫の多くは、
飼い主が大切にしないと、勝手に何処かへ行ってしまう。
昔は、空き地へ出てバッタを押さえたり、トカゲを咥えて来て食っている
のがいた。あら気味が悪いと言ったところで、もともと冷や飯に味噌汁を
かけたような食事しか与えられない猫にとってこちらのほうが上等な食事なのだ。
しかし、最近ではドライフードや猫缶詰など人間以上に贅沢な食事環境となり、
鼠を捕るなど思いもよらないことになっている。猫はいるだけでよいのだ。
猫にしたら何と退屈な日々であろうか。また、高齢者の家に居る猫に言わせれば、
俺たちは呆けないよういてやるんだ、とでっかい態度の猫も少なくない。
そうは言うものの、いやにソファーの上などを好み、尾を立て咽喉を鳴らして
媚びを売ろうとするものと、訪問者でもくるとつい立ち退いて、一夜どこへ
行ったか何を食っているかもわからぬ者もいる。これはいわば気力の差、もしくは
依頼心の程度の差でもあろうが、1つには、各自の指向の多少にもよることで、
猫にも内向的なものとともかく出ないと鳴きやまない外交的な猫とがいるようだ。
以前は、人の前に出たがらぬ者を、関東の村々では天井猫といい、あるいは
ツシ猫など戯れて呼ぶ例も多いが、これは猫たちが屋根裏に隠れて何をしているか
を、考えない人々の誤った態度の現れである。我が家の猫を含め多くの猫は
天井裏と言う言葉さえ忘れ過去のことのように思うだろう。今は家族の
一員として堂々と自分の存在を主張しているのだ。



            入り口から一歩入ると、数百年の影と匂いが私を迎えた。4本の煤で黒光
りした
柱が、この家を永く支えてきたという気概さえ感じられる、外の光を受けて
立っている。そこには、あらかた変色したお札が貼られていた。「家内安全」
私の心に、この護符に込められたこの屋の古き人々の願いを念じる心が見えた。
かっては華やいでいたものが、古い護符のうしろに、白くほのかに細く
消えゆく様でもあるが、遠く人里離れ独自の生活の中で、長きにわたりこの土地を
守ってきた人々の想いが、その残照が、伝わってくる。
一陣の風の如くここを訪れ去っていく我々と違いこの土となり、水を敬い
自然とともに過ごしてきた人の心、家の想いが合掌つくりと言う独特の形に
なって永らく人々を守ってきたのだ。それは、ここに暮らしてきた家族の姿を、
揺るぎなき家族の絆を、この家の強さと同様に培ってきた。
そして私のその想いが、光のたよやかな姿を形作り、黒光りのする柱を
透かして、私に見られていることを意識して、やさしく身づくろいをする様
に思われた。



      初め、主人はライが二人いるのか、と思った。ジュニアとママが名づけたライと
同じ黒に灰色の縞のある雄猫が、ハナコと仲良く現れた。そばではライが、
緊張しながらその様子を見ている。まだ、夏の暑さが残るある日の出来事。
彼は、その後勝手口にじっと座っていることが多くなった。良く見れば、
ライよりも体つきは細く、小顔に少しきつい眼をしている。彼が現れて1週間、
しょうがないな、の一言で主人が朝の食事を与えた。暑さが和らぎ、庭の椅子で
過ごすことが多くなり、やがてその回数が減っても彼の行動は変わらない。
多分、深夜に我が家の段ボール箱に来て、朝、食事が出るのを待ち、その後どこかに
居なくなる生活だ。ライがキジ虎に聞いたところによると、彼は元は家猫だったが、
その屋の夫婦が高齢化して、ほかに移り、彼は取り残されたのだと言う。
チャトによれば、中々出来た男だそうだ。たしかに、静かに我が家の段ボール箱
で過ごし、ほとんど寝ていることが多いが、食事を待つのが彼の日課のようだ。
もっとも、ライとレトとは警戒し、一度はライが喧嘩を仕掛けたが、敢え無くダウン、
意外と強い。ハナコの評価も高い様だ。
「あの人、結構かしこいで、色々と教えてくれるし、喧嘩も強いわ。ノロさんよりも
若いし、わてのタイプやな。でもな、あの小さなダンボールで良く寝られると
思うわ」と言っている。
猫にとって、眠り続けることは、自堕落なのではない。それどころか、猫にとって、
眠ることは、とても高尚な行為なのだ。仙人猫も良くチャトに言っている。
眠ることは、自分たちのこれからのための訓練である。人で言えば、坐禅を
しているようなものだ。偉い坊さんが言っている只管打坐と同じじゃと、
「参禅は身心脱落なり、、、只管に打坐するのみなり」とあるが、道元は
如浄に身心脱落とはなにか、と問うている。これに対して、如浄はそれは坐禅であり、
只管に打坐する時、見る、などの五感の対象への執著などを離れるからであると
答える。対象にかかわり、これに執著することが、自己と世界の真実の姿を
見る眼から覆い隠す。坐禅に打ち込むとき、このあり方から脱して、ありのままの
世界をありのままに見ることが成就するであろう」、猫も一緒よ。
ともすれば、夢と現実の世界を、寝ながらにして行き来する訓練を、して
いるのである。それは非常に困難で尊いものであった。だが、なぜ尊いものである
かを、猫たちのほとんどは知らなかったが。
とにかく猫たちは皆、眠ること、それも夢を見る眠りにつくことを、強烈に
望んだ。尻の匂いの良い彼女の夢、美味しい猫缶詰の夢、湖の夢、空高く飛び回る
鷲の夢、だが、転生したときの自分の夢が、一番の夢であった。
更に、仙人猫ほどの歳になれば、少し先の世界が見える様になるのだ。
3丁目の猫イジメをする年寄りがいつ死ぬのか、我が家に来る犬のルナがいつから
来なくなるのか、更には、猫が支配する世界がいつ来るのか、未来の夢を見るため、
自分たちの望む姿になるため、猫たちは日夜眠ることに必死なのだ。
しかし、猫たちは人間よりも達観していた。未来の夢を見ても、それで
世の中が変わるとは思っていない。単にそうなる事を人よりも早く
知っているだけだ。そんな無駄な、などと言うのは人間の愚かな論理である。
夢で現実を知る、ということに、彼らは特別な意味を与えていた。
だが、人の場合は見た夢を何とか現実の世界で叶えたいと思う。美女との
甘い一夜を過ごしたその感触を起きてからの世界でも、同じ様に自分の知りうる
美人との逢瀬を無理にでもしようとする、この哀れさを仙人猫は苦苦しく思っている。
だから、人間はアホなのだと。すでに猫は無の世界にいるのだ。
もっとも、仙人猫意外、この近隣の猫が見られる夢は、自分がいつ転生する
かの夢であり、それも数日前に知るのみであった。
だが、今日もまた、ジュニア、ハナコ、皆が夢を見る訓練に勤しんでいる。
ダンボールで頑張るジュニア、どんな夢を見ているのであろうか、自分を
棄てていった老夫婦との新しい家での語らいであろうか、老夫婦の死ぬ姿
を見ることであろうか、箱に体を埋め、今日も彼は静かに寝ていた。



           遠く聞こえる神楽の音を聞きながら、近くの神社で行われる神社奉納の祭
りの
事を思い出していた。
それは、春から夏への季節の移ろいが始まり、大きく育った草花がそれぞれ
の花や大きな葉を気の向くままに広げていた頃である。
この頃、彼方此方で春の祭りが行われる。田には水が満ち、稲の子供たちが一列
となって希望の歩みを始めるようだ。その日は近くの神社の春の祭りであった。
昨日から我が家にも風に乗って祭囃子の練習の音が聞こえてきた。
ゆるゆるとした尺のテンポと小気味よさを伴った太鼓の連打する音がこれを聞く
人々にもなにか心地よさを与えてくれる。
そして全く雲が一片足りとも見えない蒼い空とともに祭りの日となった。
普段わずかな人影だけが残されている境内には8基ほどの神輿がきらびやかに
鎮座している。その少し先にある鳥居から3,4百メートルの道の両脇には
色々なテントが軒を並べている。焼きとうもろこし、揚げカツ、今川焼き、
たこ焼きなど様々な匂いが集まった人々の織り成す雑多な音とともに一つの
塊りとなってそれぞれの身体に降り注いでいく。やがて祭りが最高潮となると
ハッピを着た若者たちが駆け足で神社に向って一斉に押し寄せてくる。
周りの人もそれに合わすかのようにゆるりと横へ流れる。
駆け抜ける若者の顔は汗と照りかえる日差しの中で紅く染め上がり、陽に
照らされた身体からは幾筋もの流れとなって汗が落ちていく。
神社と通り一杯になった人々からはどよめきと歓声が蒼い空に突き抜けていく。
揚げたソーセージを口にした子どもたち、Tシャツに祭りのロゴをつけた若者、
携帯で写真を撮る女性、皆が一斉に顔を左から右へと流していく。
その後には、縞模様の裃に白足袋の年寄りたちがゆるリゆるりと歩を進める。
いずれもその皺の多い顔に汗が光り、白髪がその歩みに合わし小刻みに揺れている。
神社の奥では、白地に大宮、今宮などの染付けたハッピ姿の若者がまだ駆け抜けた
興奮が冷めやらぬのか、白い帯となって神輿の周りを取り巻いている。
それをにこやかに見る私と妻がいた。まだ消えつつあるとはいえ、日本の各地に
同じ様な風景が見られるのであろう。人の歓声と息づかいの中で、この一瞬
に幸せを感じた、そんな記憶がゆるりと顔をもたげた様でもあった。



          蒼い空を下へと眼を落としていくと、白く霞んだその境界はややぼやけ、
やがて薄青さの水面に変わっていく。その青も岸壁に近づくほど、深さを
をまし、足下には白く羽毛のしぶきが深い緑の水に照り返すように飛んでいた。
6月とはいえ、今まで見てきた日本海の哀愁を帯びた蒼さとの違いに、あらためて
太平洋側に来たのだ、そんな想いが体の疲れと混ざり合い彼に不思議な感触を
もたらした。照りつける陽光は彼をして、その衣服を剥ぎ取り、白日に裸体をさらす、
そんな想いに浸した。そこは、白いコンクリートのビルや倉庫とは大分違う
風情を見せていた。彼の真後ろの建物は古い沈鬱な赤煉瓦の二階建てである。
玄関の屋根の頂に青銅の櫓がそそり立っているが、鐘楼にしては鐘が見えず、
時計台にしては時計がない。そこでこの櫓は、か細い避雷針の下に、むなしい
方形の窓で青空を切り抜いている。玄関のわきには、樹齢の高い菩提樹があって、
その荘厳な葉叢むらは、日が当たり始めると赤銅色に照り映える。流れる雲
に陽が隠れると、また深い緑の形に戻りそれを繰り返していた。
それは建て増しに建て増しを重ね、何の秩序もなくつながっているのか、
多くは古い木造の平屋が周辺を取り囲んでいる。棟から棟へ渡る古き回廊は、
もっとも新しい木の色から。もっとも古い木の色に至るまでの各種の濃淡の
モザイクで、彼には新鮮な味わいを見せていた。
回廊の横には、ベンチが一つ置き忘れたように座っている。塗られた青い
ペンキは、剥げて、毛羽立って、枯れた造花の様に捲きちじれていた。
側らには、煉瓦で囲まれた花壇ががあり、瓦礫の山があり、ヒヤシンス
や桜草が顔を出している。
陽にさらされた体を休めるが如く、彼はいつの間にか回廊を浮き出させている
草地に座っていた。クローバの草地は座るのに良かった。光はその柔らかな葉
に吸われ、こまかい影も湛えられて、そこら一帯が、地面から軽く漂っているよう
に見えた。コンクリートに覆われた岸壁とはホンの数メートルの距離なのに、
ちょっと感激しながら海と岸壁と周りの無機質な建物群の中に身を埋めている
自分を知った。
彼は光の中に自足していた。春の光や花々の中で、感じる温かさ、心地よき
風、ここ暫らく感じなかった気分に、ふと空には一条の雲が右へと流れて行く。
あの先は、東京だ。足の痛みやはりの残る膝や背筋、それらが一時なりでも
軽さを増したように感じられた。



       大聖寺川を下るにつれ海の匂いが強くなり、幾つかのうらさびしい砂洲
を露わにしている。川水は確実に海へ近づき、潮に飲み込まれるようだが、
水面はますます沈静に何の兆しも浮かべていなかった。相変わらず静かな
微笑をたたえる観音菩薩の様でもある。
河口は意外に狭い。そこで溶け合い、漠然たる境を作り合っている海は、
青く光る空に浮かぶ薄雲の堆積に紛れ入り、不明瞭に横たわっているだけである。
目的の地を見つけるには、まばらに地に張り付くような姿勢の家々や野原や
田畑を渡ってくる微風の中で、なおしばらく歩かなければならなかった。
その風が春の日本海をくまなく描いていた。
冬の厳しい風が、縮むように点在する家や野や畑の上に駆け巡る海の
激しさを知る彼にとっても、春のそれは、過去の重苦しい記憶を更に深く
思い起こさせた。それはいわばこの地方の冬を覆っている空気感の違い
であり、命令的な支配的な見えざる海とは違う情景であった。
河口のむこうに幾重にも畳まれていた波が、徐々に灰色の海面のひろがり
を示していた冬の季節、彼にはその記憶のほうがはるかに強かった。
それは正しく荒れる日本海の海だった。私のあらゆる不幸と暗い記憶の源泉、
私のあらゆる醜さと弱さの源泉だった。海は荒れていた。波は次々とひまなく
押し寄せ、今来る波と次の波との間に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせた。
暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併せていた。
時には、境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛
のような姿をみせ、その中央にあるかなきかのほの青い空を囲んでいたりした。
鉛色の海はまた、深緑色の岬の山々を控えていた。全てのものに動揺と
不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物のように凝結した感じとがあった。
ふと想いを今に戻せば、海からの風は少し冷たいものの、春の陽光の下では
心地よさが優った。そして、小山を少し歩いた先に静かな水面を見せる
湖が現れた。そのさざめきの光の中に吉崎御坊の台地があった。


       人が思わず粛然として身を正すような風景や情景、場、それこそが、「神の
情景、風景」と呼ばれるものなのであろう。仏像にしろ、神社ににしろ
人は形に見える存在に自身の心を委ねるものだ。
日本人が神を感じてきた風景、情景、場は様々である。たとえばそれは、陸地と
海の境界である岬だったり、山々であり、滝であり、島であったり、巨木、
巨石であり、何かしら象徴性のある姿、形が受け入れられてきた。
更には、火山であり、地震、大雨強風などしばしば人間に害をもたらす自然現象
でもあったと思う。江戸時代、富士へ登ることが自身の信仰、神への願いとして
盛んだったのもそうであろうし、白山信仰も同じなのであろう。この科学と
言う智慧によってそれらがある程度人が制御できるものと分かった現在でも、
神の真意として畏怖の念で受け止める場合も少なくない。祭とはそれら不可思議なもの
への畏怖の念を尊敬、感謝の気持の表現としての行為であったのだ。
20年以上前に新宮の神倉神社のいわゆる磐座とよばれる男根のように見える
巨石が夕陽の中で薄赤く光り輝く姿にはなんともいえない衝撃を受けたものだ。
このゴトビキ岩の元で行われる御燈祭りは、急な階段を松明の火が一気に
駆け下りる火の流れとともに記憶に残っている。
和邇もまた、わずかながらでも神の存在を意識して生きてきた人間でもある。
昔死んだ母の実家であった山形で夏休みを過ごした時の夕暮れの森で感じた
忠を浮くような感覚と白き影の如く森の奥に消え去ったひと形の何か、
畏敬と母の温かみを持ったその姿を暫らく忘れることが、出来なかった。
さらには、ブラジルのイグアスの滝で感じた流れ落ちる水の爆音と吹く風の中で
訪れた一瞬の静寂の心地よさに自分の存在さえ忘れたとき、何かが
自分の近くに舞い降りたと感じられた、あれは何だったのだろうか、神、
と思ったこともあった。苔生す石畳を歩く音、聳え立つ杉の間からわずかに見える
日の光、天狗岩から見た流れ行く雲と山の端の色の変化、全てが一つの力となり
自分の周り迫った数年前、友達と歩いた熊野古道での経験が追い討ちをかけるか
のように、パアと眼前に広がる。さらには、その中にいる姑息な自分への
腹だたしさが再び自分の血を逆流させていた。
岬とは、陸地が果てる空間であり、海とのしのぎを削るせめぎ合いの場所だ。
吹きさらす風と眼下に広がる泡立つ水面、そして何の色合いもない岩の肌。
古来より、日本人は岬を「常世」との結節点と考えてきた。現に多くの岬には
その先に神社を祀っているところが少なくない。御前崎燈台を見たときにも、
そのような神社があった。
この台地は少し海より奥まっているが、蓮如がこの地を訪れた時、このような
想いもあったのではないか、ふと取りとめのない考えがわいてきた。
今は春であるが、日本海の冬の海の荒々しさは十分ここでも感じられるであろう。
神と呼ぶべきか、仏と呼ぶべきは別として、それらとの交流とすべき場所として、
自身の仏の教えとともに、信仰に燃える人々と過ごす自分が見えたの
ではないだろうか。
和邇にとっても、神であろうが、仏であろうが、今の自分の心の闇に寸分の
明るさをもたらすことであれば、何でも良かった。それがイグアスのような神の降り
立つような場所の天啓であるかもしれないし、偉いと言われる坊さんの言葉
かもしれないし、古き家々、神社、寺など日本人の育てた心への触発かもしれないし、
熊野古道で感じた自然から癒し、何気ない人との会話からかもしれない。
もっとも、このような心境は彼だけのことではない。30年前にも「不思議なもの」
「神秘的なもの」への憧れが若い世代を中心に増えていると、ある調査でも
言っていた。更に言えば、同じ時期、オウム真理教と言う集団の起こした毒ガス
事件は、信仰(狂信に近いが)というものの怖さを肌で感じた。富士の裾野で
行われた松本という教祖逮捕劇の映像やなんともいえない下品な空気をかもし
出している教祖という人間への嫌悪感が黒々とした苦さを伴いながら、
蘇ってくる。そして、何百万と言う人々を熱狂させた蓮如という人間の象徴的場所
に今、自分は来ている。何故ここに来たの、人は何故蓮如に付き従ったのか、
そんな想いを蓮如の像に向かい問いかけつつ目の前の建物に歩み始めた。
暗く閉じた己の心の扉を開く何かを期待していた。



       道は砂利が支配し、まだら模様の水溜りを見せていた。
黒く沈んだ空の下では、その黒さが一段と増し、山の端に見える杉の群れが
ここにも押し寄せるかのように道の両脇を固めていた。
心の暗さが足の痛みを一段と深めていた。その痛さから逃れるかのように
少し目を草叢に向けるとそこには、瓦解したかのような社の木片が積まれていた。
昔NHKの番組で明治神宮の鎮守の森の歴史を描いた映像を見た。
全くの荒地を百年、百五十年の歳月をかけて森に育てようとする長期的な
取り組みを紹介していた。しかし、取り組みと言っても、人が絡むのは
当初の植樹の時だけであり、後は自然の持つ力を使っていわば放置状態
にすることであった。そして、百年を経た3年前に様々な学者が森に
棲む動植物の生態や木々の育ち具合を調査したのであるが、百五十年かかる
と予想していた森として成長が百年経ったそのときに、すでに確認されたと言う。
自然の持つ素晴らしさをあらためて感じたものだ。逆に言えば、百年
経つと、人間の建造物含め人工的なモノは、自然の中に吸収や
埋没されると言う事だ。この旅もまだ始まったばかりであるが、人が
ふと気を抜けば、全てが自然の中に消えてしまう。多分、その事実に
多く対面するのであろう。小浜や敦賀の神社もそうであろうが、人の手が
消えると自然の力は容赦なくそれを葬り去ろうとする。正に、人と自然の
格闘である。今、眼前の朽ち果てた小さな社の跡もその結果なのかもしれない。
和邇は、ひどく寂しい気持になった。
しかし、木々の間から見える山並は笑っている。その笑いに誘われるかのように、
彼の気持も薄明るくなった。木々の笑いに伴って、青時雨の水たちが彼の頬を
伝わり、ハコベや名も知らぬ草々の上にゆっくりと落ちていく。
自然は破壊と喜びを同時に与えるのだ、そんな言葉が自然にわいてきた。
湖西周辺の古墳や城跡、寺院跡など気の向くまま歩いた時期があった。
どこでも彼は一度たりともその古き残存物、自然に侵食された遺構に感激
した記憶はない。遠く遡れば、そこには、清涼な水を絶え間なく流し続ける
川であったり、やがてその水も枯れ木々の力が支配し、黒々と周辺を覆う
森になったりしてきたのであろう。人は、その自然の営みのわずかな時間
に家々を建て、社を作り、わずかな征服に満足してきたのかもしれない。
彼は、そこに何かがあったという事実だけに満足していた。
むしろ、時と言う力、それが我が身に及んでいる事を考え、に恐れを抱いた。
身近な人が消えていく、5人の猫たちをはじめ、すでに己は一人である、
という事実に、夜ふと目覚めた時の暗闇で反芻する老人がいた。
やがて誰も彼の存在を忘れ、地上から永遠に消えていく。「月日は百代の過客
にして行きかう年も又旅人也」あの言葉が暗闇の中を、彼の体を取り巻くように
浮遊している。


     庭には五つの墓標があった。それは墓標と言うには、楽しさの見える猫の焼き物
であったり、犬の置物であった。すでにここには、2人が残ったのみか、そんな
考えが頭を支配していた。この椅子にも何年世話になったのだろう、膝で眠る
今となっては唯一の家族となった三毛の猫を見る。彼女もすでに10歳ほどに
なる。充分すぎる時間を生きた、と彼は思った。
それから、湧き上がる憐憫の情のために眉をよせ、頬をよせ、見守った。
猫は、彼が触れると、涙ぐんだような片目を開けた。その眼のすみに黒色の
にかわのようなものが、べったりこびりついている。彼女は手を伸ばして、
猫の頭にさわり、やさしくなでてやった。それから、いつもの食事を
ポーチの床の上の、椅子の下においた。猫は臭いで目がさめた。
頭を上げ、もっとよく臭いをかごうと膝から立ち上がった。それから、
いつもの調子でそれを食べてしまった。彼がもう一度猫の頭をなでると、
猫は大人しい三角の目で彼を見上げた。
突然、猫は咳、痰が詰まった老人の咳、をして立ち上がった。彼はなお
その猫の姿を凝視し続けた。猫は咽喉を詰まらせ、空気を吸い込もうと口
をあけてあえいだが、すぐにばったり倒れた。それから、起き上がろうとしたが、
起き上がることができず、再び起きようとして、ポーチから転げ落ちた。
息をつまらせ、よろめきながら、猫はこわれた玩具のように、庭中を
這い回った。彼の目には一筋の涙のようなものが流れた。
猫は再び倒れ、からだがピクピク痙攣した。それから静かになった。
少し前まで生ける者としてそこにあったものが今は一つの物となった。
梅ノ木の葉が横たわっている猫の身体を覆うように光の影を投げかけている。
やがて彼は立ち上がり、庭に掘った場所に彼女を埋めると、静かにその前に
佇み、手を合わせた。
これで、全ての準備が整った、明日の朝、遠く遥かな道をたどり、目的の地
へ出かけるのみ、深く息を吸い込み彼は静かな決意をした。
いつの間にか日は隠れ、やや冷たさを増した空気と陰なき平板な世界が周囲
を押し包んでいた。


     後ろで、やや掠れた金属音とともに、門の扉が静かに閉まった。外はすでに
その明るさを存分に増していた。彼の心の暗さとは対照的な天気だ。
ふと思えば、今日は5月16日、旧暦の3月27日であった。松尾芭蕉が
奥の細道に出た日でもある。特別にこの日を選んだわけではない。
でも、今の和邇にはその偶然に、不思議さを憶えた。


        三男が珍しく気色ばり、母に迫った。
「そんなに親父と別れたいのなら、さっさと離婚しろよ。俺たちは構わないし、
結婚なんてギャンブルみたいなもんさ。一人の男とくっつかなくちゃ、っていう
昔の発想なんて古いよ。結局は他人だぜ。でもさ、自分のこれからの生活に
自信がないんなら、そのままでいればいいんじゃないの。誰も文句は言わないし、
結局はあんたらの話だ。親父もあんたも六十のおじいさん、おばあさんやで」。
「そうか私もおばあさんか」。
初めて知ったことのように、その言葉が彼女の体をゆっくりと廻っていた。
「40年以上もあの人と過ごしたんや」。遠くでそんな声が聞こえた。
彼女は、彼の話を聞きながら、庭先でノンビリと寝ている猫たちを見ていた。
まるで、他人の話をそばで聞く人のように。体と自分の意思がまるで二つに
分かれたように、息子の声だけが遠くから聞こえている。別な自分は、
横浜のマンションで大きな腹を抱えながら過ごす自分や長男の手を引いて
買い物している情景、すでにいないはずの母のあの丸こい立ち姿、が鮮明に
見えていた。だが、そこには、夫の姿はなかった。
少し俯いた先の手にビールのグラスが握られていた。それを一気に飲み干し、
眼を真っ直ぐに見据えると、そこには、夫と旅行したときの楽しそうな写真が
あった。ああ、こんな時もあったんだ、感激にもつかない不思議な想いが
綺麗な砂地の流れから沸きあがるように体全体を支配し始めていた。
夫婦って、息子が言うようにこんなものかしらん、そう思うと体が一気に
軽くなった。遠くで家の扉が閉まる音がした。息子はすでにいない。
明るい午後の日差しの中、チャトが少し顔を傾け、不思議そうな眼つきで
見ている。

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