チャトが死んだ。 2014年10月16日午前3時?12歳?昨晩から、厳しいとは、思っていたが、静かな 永眠と思う。12年前のいやに耳の大きい茶と白の子猫を病院の 駐車場で、拾い上げてからの我が家の一員であった。 気立てが優しく、面倒見が良かった。一番長く生きて欲しい子であったが、 中々に、思うとおりには、いかないものだ。善人は早死にする、、、 数ヶ月前からの腎臓を患い、本人にとっても、辛い日々であったと思う。 既に、朝の光が満ち始めているが、ふと見上げれば、青く澄み切った朝空 の中に、中空の半月の月が、こちらを見下ろしている様である。 寒さの中に、今までのチャトの仕草、行動が走馬灯のように流れる。 時の流れは、早い。我が身も我が家も、高齢化しつつ中で、死への まずは、第一の対面かもしれない。 また、今日は、伊豆大島の土砂災害から1年経った日でもある。 36人の死んだ方への冥福を祈る。 チャトをもう少し当家で供養したかったが、時間的な問題から 午前中に、火葬にした。 火葬場は、近くの琵琶湖の見える小高い場所にあり、葬儀場の 丁寧な対応で、無事済んだ。 秋の気配が近づく比良山の木々とやや霞みのかかった琵琶湖の 先には、沖島のなだらかな姿と三上山の小ぶりな小富士の姿 がいわし雲の下に見えている。 骨壷にいるチャトも、この景色を見ているのだろうか。 小さくなったその遺骸が小さな骨壷に納まった時には、 チャトと過ごした13年の歳月が駆け抜けていった。 自分の姿もそうなることであろう。 そして、1日経った今日の朝、何事も変わっていない。 チャトの姿は見えないが、目を閉じれば、そこにいる。 外は既に、冬の空気、中天にかかる半月も昨日の朝のままと 変わらない様子。これが平和かもしれないし、何かへの 次への変化への始まりかもしれない。 すでに、外からは、車の走り去る音が聞こえてくる。 日常の変わらない音と風景がそこにある。 ーーーーーーー 10月19日NHKの「不死長都市100年」をみた。 1917年からの記録フィルム(大正6年東京見物と言う題) をカラー化したものであり、カラーにすることによるリアル感 があり、明治から大正への近代化の流れ、銀座などの風景、 レンガ造りの町並み、関東大震災等の様々な出来事が良く 伝わってきた。 当時の人口は、既に、220万人であり、世界で一番の過密 都市とのこと。 また、日本橋の木造から石造りへの変容、レンガ作りの東京駅や 周辺のビル群などを垣間見ることが出来る。 プライベートな映像でも、女性たちの衣服の変化を見るとその 時代意識が良く分かる。モダンガールから戦時中の地味な着物 姿は、印象的であった。 関東大震災から7年後の日中戦争、そして7年後の戦後終戦直後の 日本は、映像の中でも、不死長の如く、生き変える姿をカラー化 された映像では、その印象がより強い。 ーーーーーーーーーーーー 水への尊敬の念 唐木順三、柳田國男、白洲正子、いずれも、日本の原風景探しの中では、 「水に対する関心、水への尊敬の念は、日本文化の一つの特色を成しているようだ。」 水は、生活条件の1つではあるが、同時に日本では、それが、文化や 芸術の条件でもあった。 山水という言葉が直ちに風景を意味するということは、日本人の自然観、 風景観を物語ってもいるだろう。水墨画、墨絵には水は殆どつきもの といってよい。 寒山詩の中に以下の一句がある。 「尋究無源水、源窮水不窮」 人は、結果から原因を探り、根本原因まで遡る。 水源は、探求され、解明されたが、水は相変わらず滔滔と湧き出ている。 ーーーーーーーーーーーーーー 地球でも、まだまだ、未開の地域がある様だ。もっとも、そこも 人間という貪欲な種に侵略されつつある様だが。 東アフリカ 大地溝帯。ここは、数千年前に数10km以上に亘り、南北に、 隆起した。これにより、西側は、その湿潤な気候のため、豊かな森林地域 となった。東側は、砂漠地帯となる。それを隔てているのは、5000m 以上ある山脈である。 とくに、アルバタイン地方は、ホットスポットと呼ばれ、多様な種族が生きている。 今回のNHKスペシャルでは、人類猿を扱っていたが、その種族は、人類進化への 手掛かりになるそうだ。 もっとも、人類への進化に近いのが、ボノボと呼ばるチンパンジーに近い類人猿。 平和主義的な生活をしており、ここでは、オスとメスがほぼ同等の営みをしている。 むしろ、メスがオスを上手く制御しているとも言われる。これは、食料が豊富で、 子孫を残す事が主であるため、メスが主体になる。 この他には、チンパンジーとマウンテンゴリラの2種族がいる。 また、チンパンジーは、かなりの攻撃性があり、我々の認識と大分、違う事には、 驚かされた。そして、ボノボとチンパンジーに分化したのは、コンゴ川で、 分断されたからとのこと。 この他、ハイギョと呼ばれる魚であって、肺を持つため、地上でも数年は、 生きられる。など、太古からそのままの姿を持った種がまだまだいる。 地球は、まだまだ知らない事が多い様だ。 ーーーーーーーーーー イスラム国の脅威と言うのが、言われている。 過去の戦争は国と国の戦いと言う明確な姿があった。しかし、 いまの中東の国で、起こっていることは、大分様相が違う。 イスラム国には、80カ国の国から1万5千人以上の若者が、 兵士として来ている。国のために命を捧げるとか、国と言う概念の 無い戦争でもある。 多くの若者は、自身の存在意義が見えず、空疎感が先行している場合が 多く、その行動を助長しているのかもしれない。 しかし、日本と欧米先進国での意識の違いは大きい。 欧米でも、聖戦(ジハード)をファッションのように考え、 参加する若者も多いようだが、明確な論理を持っている。 逸れは、「自由からの逃走」である。西欧社会が自由であり、特定の 価値規範を強制してくれないことへに飽き足らない者たちが、 イスラム教の絶対的な規範を敢えて選んでいる。 しかし、日本では、漠然とした不自由感に対する安易な解決策として ジハードに共感して見せようとしている。根本的に違う。 イスラム国の実態は、イラクとシリアの土着勢力の国内闘争であり、 「アサド政権の自国民弾圧は、悪であり、ジハードしなければ ならない。ジハードに参加することはムスリムの義務」と考えた 信奉者の戦いでもある。 イスラム教に対する更なる理解が必要と思われる。 ーーーーーーー 6年前に、以下の様な一文を書いたフリーター赤木智弘がいる。 「我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。 それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを 押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けば このような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を 生み出してくれるかもしれない何か――。 その可能性のひとつが、戦争である。 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、 現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、 そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、 社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる 可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間 として当然の欲求だろう。 そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念な ことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差 は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ」 これからは、このような従来の国という概念、国民という自身の存在基盤と なるべき意識などが、確固とした概念でなくなる。それによって、成り立って来た 民主主義や様々な体制や共通認識が失われる。 新たなる動きとなるか?一時的なものなのか? 世界は、緩やかなものの、着実な変化を起こしている。 当事者も、関係する国のトップも含め、誰も制御する事ができない状態 なのだ。インターネットに代表される様に、人のつながりや情報がより 広く拡散して行く中で、人の行動も大きく変わると同時に、それらの情報が 各国民の貧富や思想の違いを明示する事により、様々な不満を生み出して行く。 それは、更に、流動化と多極化を生み出して行く。 これは、格差が広がって行く日本も、無関係ではなく、やがて、同様の 変化が生ずるはずである。 その意味では、昔ハンチントンの、文明の衝突、があったが、その差異 を検証することも非常に面白い。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 新潟地震で、被害のあった山古志村がようやく、復興への道を付け始めた と言うレポートをNHKがしていた。 地震から数年経ても、もうダメとの古老たちの無気力に対して、何人かの 地元の中年有志が、「夢を語ろう」のテーマで、学生たちを巻き込み、 地域住民と徹底討議を重ね、その環を広げ、米の収穫から、今では、 地元の古くからのお祭りまで、復活させた。10年の歳月が必要であった。 でも、この地道な活動は、どこでも出来るはずである。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 仏教用語としての他力本願は、巷でよく言われている様な、人任せの 事ではない。 人間が生きて行く中で、己だけで、その生き様を出して来たと言う人がいるが、 それは、万物が生きて行く中での大きな流れの中にいる事を忘れた発想とのこと。 他力(ここでは,阿弥陀如来の力)と言う大きな存在の中で、本願(世間の人々を仏 にする)を成し遂げさせるのが、その真意である。しかし、俗物である私に場合は、 ただ、漫然となく、人生の終着を迎えるのではなく、小久保が存在した(これを仏と 呼び変えても良いが)事を、他力の中で、完結したいのである。 即ち、 他力本願を信条として、来年実行するべき第六の転換から違う姿が出てくることも 期待したい。 ーーーーーーーーーーーーー その月山は、遥かな庄内平野の北限に、富士に似た山裾を海に曳く鳥海山 と対峙して、右に朝日連峰を覗かせながら金峰山を侍らせ、左に鳥海山へ と伸びる山々を練瓦させて、臥した牛の背の様に悠揚として空に曳く長い 稜線から、雪崩れる如くその山腹を強く平野へ落としている。 すなわち、月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとするものには その本来の姿を見せず、本来の姿を見ようとするものには月山と呼ばれる ゆえんを語ろうとしないのです。月山が古来、死者の行くあの世の山と されていたのも、死こそは私たちにとってまさにあるべき唯一のもので ありながら、そのいかなるものかを覗わせようとせず、ひとたび、 覗えば、語ることを許さぬ、死の企み めいたものを感じさせるため かもしれません。 ーーーー あとはただもう山また山で、かえって、どれがどの山ともわからなく なったようです。しかし、じっと見ていると、いずれの山も鷹匠山へと 寄せ、塞ノ峠へと寄せ、仙人獄へと寄せているのです。 しかも、それらの山々が、ここでもまだそこに山があるかに見える湯殿 へと寄せていて、ひとり月山が悠揚と臥した牛の背に似た稜線を晴れた 空にながながと曳いている。それがその稜線から山腹を雪崩落としている 様をいい、庄内平野の村や町で眺めた月山と少しも変わらないのです。 私はあの肘折のまどかな月山がいよいよまどかになるというのを思い出し ながら、ふとまたここでも、こうして眺めていたことがあるような気が してくるのです。してみれば、ここでもかって眺めた月山と少しも変わらぬ 月山であるであるということがわたしをそんな気持ちにさせるのかもしれません。 それにしても、この果てしない山々が、どうして山ふところだというのだろう。 それは、すこしも変わらぬ月山でありながら、この世の証のように対峙していた あの鳥海山が、もはや、まったく見えぬというより、無きがごとき気すらする 別世界をなしているということかもしれません。 山々はほとんどところどころが濃密な杉林、畑地、草刈り場になっているだけで、 いずれもイタヤクヌギの雑木林に覆われている。私が寺に来た頃頃は、ヒグラシ の声もし、まだまだ夏の気配があって、それが滴るばかりの緑を見せていました。 しかし、月山はさすがに潅木の茂みになっているのでしょう。そうした緑の中に ひとり淡淡と苔色を帯びていたのですが、そのながながとした稜線のあたりが 夕映えたようにほの紅く見えるのです。じじつ、月山は夕映えの中でしばしば そう見えたので、わたしはしばらくそれが月山の紅葉し始めたためだとは 知らずにいたのです。しかも、その紅葉は次第に山々の頂に及んで、 あたり一面紅葉になって来ました。なんの木の葉が紅くなるのか、 黄色くなるのか、また同じ木の葉でも紅くもなり、黄色くもなるのか、 私には分かりませんでしたが、その紅も黄色も驚くほど鮮やかで、 なにかこう、音響を感じさせるばかりではありません。 僅かな日差しの動きや違いに、その音響は微妙に変化して、酔い痴れる 心地にさせるのです。しかし、紅葉はいつとなく潮のように退いて行き、 散り遅れた数葉をまばらに残して、裸になった木々の間から、渓を作る 明るい斜面が遠く近く透けて見えるようになりました。散り敷いた 落ち葉を踏んで行きながら、その一枚を拾うと、蝕まれて繊細な レース網みのように葉脈だけになった葉にも、まだいくらかの紅や 黄色の部分があって、心地良い残響にも似たものが感じられるので あります。 ーーーー いつとも知れず赤いというか、黒いというか、地獄の火の様に渓越し の雪山の頂が夕焼けて来るのです。 しかも、渓越しの雪山は、夕焼けとともに徐々に遠のき、更に向こうの 雪山の頂を赤黒く燃え立たせるのです。燃え立たせると、まるで、 その火を移すために動いたように、渓越しの雪山は元のところに 戻っているが、雪山とは思えぬほど黒ずんで暗くなっています。 こうして、その夕焼けは雪の山々を動かしては戻しして、彼方へ 彼方へと退いて行き、全ての雪の山々が黒ずんでしまった薄闇 の中に、臥した牛さながらの月山がひとり燃え立っているのです。 ーーーーーーーーーーーーー ハロルドがクィイーにわかれを告げた時、 また、私自身の周辺で、誰かの死を迎えた時、自分は、どうするだろうか?? 最近、あらためて考える。その時の自分の姿を。 多分、ただ静かに、その死を受け入れているのみかもしれない。 泣くと言う情景が浮かんで来ない。 私は、冷たい人間なのか? -------------- 坂の上は燃え上がっていた。やや赤みを帯びた橙色が、坂の上を 支配しているように見える。 同じ様に、空もたなびく雲に、その色を投じている。 私は、ゆっくりと坂の勾配に逆らいながら、進む。 そして、思う。歩くのでも、そのスピードによって、見るべき 風景と見られるべき風景が違うことを。 以前であれば、見られていないであろう家々の小さな変化が 今は、はっきりと眼に飛び込んでくる。 庭に咲くコスモスの枯れ具合の違い、既に空き家となった家の 少しひび割れた壁の変化、少し移動した庭の椅子、など。 枝振りの良いススキが、心地良い感触を伝えてくる。 坂の上に登りきると、西の山並には、まだ、先ほどの橙色の 残照が残っている。後ろを振り返れば、琵琶湖の水面が、青黒く 輝き、遠く伊吹の山並までが見える。 カラスが一羽、電柱の上からこちらに向かい、かあー、かあー と呼びかけてくる。 夕食の美味しそうな匂いが辺り一面を支配している。 少し早い子供たちとの団欒、ここにも、1つの生活がある。 周りを見渡せば、既に、家々の明かりが灯り、道路にその 光を投影している。 ーーーーーー 琵琶湖は大きい。 この浜辺に立って、すでに16年。遠く沖島の更に奥には、伊吹山が 無様な格好を見せている。人間の飽くなき欲望は、元は優雅であったろうに。 いまは、赤茶けた山肌を半分程晒し、遠目のも、その痛々しさが伝わってくる。 眼を左へ転じれば、比良の山並みが、湖畔に立つ自分に覆いかぶさるように 迫ってくる。右には、遠く一本杉のあたりまで、やや灰色が買った砂浜が ゆったりとした曲線を描きながら、伸びている。誰かの散歩の跡だろうか、 4つの足跡がその曲線に沿って、やや蛇行しながら伸びている。 いまでも、使っているのであろうか、湖に向かって 数個の板が、浮かんでいる。昔からの営みである証左が、そこに見える。 その先には、100m先まで、魚獲りの仕掛けが幾重のも伸び、水平線を 覆っているかの様だ。 春の霞の中で、遠くの見えない情景と夏のその強さを増した透明感のある 空気、心地よい風のに揺れる松と古木の木々、遠く光り輝く雪化粧を 見せる北の山並み。 すでに、この情景を見て20年は経つ。変わらぬ景観である。 変わったのは、私であろう。 衰え行く足腰に合わすが如く、この情景を見にくる回数も減った。 心の感じる強さも減った。慣れと親しみは、紙一重。もっと、この湖の 持つ親しみと癒しの空気感を味わいたい。 昔ここを拠点としていたと言う湖族の和邇一族は、湖の幸とその交易で、 一帯を支配していたと言う。その残照が残る小さな漁港では、今しがた 採ったという魚達が、未だその元気を見せている。 ーーーーーー あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む ☆あしひきの【足引きの・足曳きの】;(後世では「あしびきの」) "山”"峯 (を)" にかかる枕詞。 ☆山鳥;鳥の名。キジに似る。友を恋う鳥とか。夜は雄雌が峰を隔てて寝 るなどの伝説がある。(季春) ☆しだり尾【し垂り尾】;長く垂れ下がっている尾。 ☆かも;詠嘆を込めた疑問を表す。~なぁ。 『(雄と雌とが夜峰を隔てて寝ると言われている)山鳥の長く垂れ下がってい る尾のような、 長い長い夜を(今宵も)独りで寝るのかなぁ』 平兼盛 【拾遺集】 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで ☆色;色。顔色。表情。 ☆物や思ふと;心配事、悩み事でもあるのかと。 『あなたへの恋心を知られまいと我慢していても、顔に出てしまい、周りの 人に "何か悩み事でもあるのか"と、問われてしまうほどです』 中納言朝忠(藤原朝忠) 【拾遺集】 逢ふ事の 絶えてしなくは 中々に 人をも身をも 恨みざらまし ☆絶えて;(下に打ち消しの語"なくは"を伴って)いっこうに。全然。(~ ない) ☆中々;なまじっかな様子。中途半端な様子。かえって。むしろ。 ☆ざらまし;(もし~ならば)~でなかったろう(に)。 『もし、一度もあなたにお逢いする事もなかったなら、むしろその方が(今 は逢っては くれなくなった)あなたの事も、(逢いに行く事のできない)わたしの事 も、恨んだりしな かったでしょうに…』 無印の会長の話しを聞いた。 組織継続の難しさを数字を使って説明してたが、表面的な 結果だけではなく、何故、そして、どうするが、よくわかる話しだった。 まじは、企業文化の違いが、その組織そのものを既定する。 無印は、感覚がベースの西友、セゾングループの子会社である。あの 強烈な文化思考の堤さんそのモノの世界。 これでは、SPAのビジネスの世界では対応が難しい。 まずは、 仕組み作り(個人から組織への評価、対応の変更) 見える化(マニュアル化の徹底) 風土作り(文化、価値感覚の変更) を進めたとの事。 西友文化の、計画9割から実行9割への組織行動の変革。 9月29日鶴べいの家族で、を見た。 比叡山の千日回峰行の阿じゃりが少し出てきた。 90日の不臥を行うとの事。要するに、横になって、 寝てはだめ。寝ずに寝る境地がどんなものか? 分からないが、自身の身体に委ねることがコツのようだ?? なお、千日回峰行は、975日で終わるとの事。 これは、残りの25日は、その後の修練のため、であるが、 死ぬまで続ける25日。 依心(身)より依所が大切との阿じゃりからの言葉。 要は、自身の落ち着く場所をキチンと見つけることが 人生、己にとって、重要との事。 シンプルな毎日!!まだまだ、未熟な自分を感じる。 ------------------ 9月28日、nhkの老人漂流時代をみる。 明日は我が身との想いで見ていると、根本的な疑問が 出てくる。 なぜ、この人たちは、ここまでして、 生きていく事に執着するのであろうか?? 自死が、出来ないと言う人もいたが。 いま一人暮らしの高齢者は、600万人いると事。 高齢者世帯の4割にもなるのは、驚き。 これからは、更に増えるのであろう。段階世代含め、3200万人 以上の高齢者が、いる事には、変わりはないのだから。 問題は、この一人ぐらしの高齢者を支える、3世代型の 家族構成が、2割もなく、崩壊していると言う事が大きい。 昔は、ご隠居さんとして、家族、地域で、それなりの存在感を 持っていたが、地域のつながりの希薄さ、内向的な地域意識、 など、これを支えるための互助意識とつながりもあった。 国の制度も、50年以上の国民制度がそのままであるから、 実態についていけない。 年金が120万円以下の人が600万にの半分もいる。 生活費用は、月に3、4万円と言う老人もいる。 老後破産と言う言葉まで、出来た。 また、別な日には、老人の突然の暴力につても、nhk アサイチで放映。多くは、昔の栄光(先生と呼ばれたり、 部長と呼ばれたりのむ昔の幻影が強いようである)から 疎外感、抜けきらない自分への苛立ち、相手が理解してくれない と言う惨めさなどがその背景にあるようである。 自身も、要注意である。 ------- -------------------- マイケル・サンデル著『これから「正義」の話をしよう』の 英語原典で読みながら、倫理学・政治哲学における原理的な 諸問題を理解するとともに、共同体論者としてのサンデルの 立場そのものがはらむ問題について考える。合わせて、英語 による哲学的表現を身につけることを目ざす。 基本的には、テキスト講読を中心とした形で進める 。特に、功利主義、リバタリアニズム、市場と倫理、 カント、ロールズ、アリストテレス/共同体論をめぐる章を順次講読して行く。 和辻哲郎の共同体論との関係は? ------------------------------- 風が一陣、庭を流れて行く。 既に、秋の匂いが多く含まれ、心地良さと幾分の寒さが感じられる。 いつの間のか、にわのはずれには、ススキがまだ緑の深さの残る 木々の中から顔を出し始めている。 その風の向こうには、薄く青い空を背景に、真綿の様な雲達が 比良の山に向かって静かに進んで行く。 ちょっと手を伸ばせば、掴めそうな薄雲たち。 少しづつ朝日の中で、ピンクから紅くなり、いつの間のか、消えて行く。 病院では、ある意味、死は当たり前なのかもしれないが、それは、 我々が知ら無いだけで、既に、自身の横にあるモノかもしれない。 今回の御嶽山の噴火による死も、そうであろう。 数分前にとった写真やメールには、、直後の自身の死を予感した人が いたであろうか? 振り返れば、我が身とチャトも同じかもしれない。 まあ、それが運命として割り切れるのが、我が身の良いところでもあるが。 また、いざとなったら、生に執着する自分がいるかもしれない。
2016年10月9日日曜日
日々の記録3 (チャトの死、水、格差、イスラム国、月山、琵琶湖、老人漂流、 他力本願)
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