2016年10月9日日曜日

日々の記録2)

昨日、ハーバードの人生を変える授業をあらためてよんだ。
ポジティブ心理の考え方を上手く伝えている。
恥ずかしながら、これが心のサービスにつーながるとは、
思いついていなかった。
ポジティブの具体的な理屈はいらない。
その中でも、
・絶えず、ポジティブなこと
・共感と思いやりの心を持つ
・理解し、理解してもらう
・価値ある行動の意識と実行

少し自分を変えて行きたい人にとっては、自身の行動、想いを
変える示唆として、有効と想う。
ぜひ、これをいくつか実践して行きたい。
残された時間は、僅かであるが、まだまだ、欠点、欠陥の多い自分を
感じる。
今日も、また、息子を怒鳴りつけてしまった。反省、、、、。
もう少し、穏やかに話すべきでは合ったのだが。
最後のよき日を迎えるためには、この幾つかをやるべき。


ーーーーーー
小椋桂の山河を聴く。
よい詩である。
小椋桂も70歳とのこと。
人は皆、老いて行く。
しかし、己の生きた証を残せるのは、幸せである。
彼のキーワードは、
Simple、slow、steadyとのこと。
私の場合は、
ゆっくり、と、着実に、と、楽浪(さざなみ)の中で。
かな!
同じ3Sでも、slow、steady、sazanami。

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人は皆 山河に生まれ、抱かれ、挑み、
人は皆 山河を信じ、和み、愛す、

そこに生命をつなぎ、生命を刻む
そして終わりには 山河に還る。

顧みて、恥じることない足跡を山に残しただろうか
永遠の水面の光増す夢を河に浮かべただろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。

歳月は 心に積まれ 山と映り
歳月は心に流れ 河を描く

そこに 積まれる時と、流れる時と、
人は誰もが 山河を宿す。

ふと想う、悔いひとつなく悦びの山を 築けたろうか
くしゃくしゃに嬉し泣きするかげりない河を抱けたろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。

顧みて、恥じることない 足跡を山に残しただろうか
永遠の 水面の光 増す夢を河に浮かべただろうか
愛する人の瞳に愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと。美しいかと。

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9月25日、家にあった蔵書1000数百冊をブックオフに
引き取ってもらった。過去からの決別でもある。
第六転換へのある意味、第一歩であり、自身へのふんぎりとなる。

また、自身の今後について、自由、勝手気ままさが、得られた事でもある。
狭い世間と関係する人々とのなんらかのお付き合いで、過去60年の
しがらみを意識せず、行動する。中々に難しいが。
自由な、勝手なとは、私の人生で、なんなのだろうか?
単なる無節制、ぐうたら、無計画などなど、しかし、これは、自分の
基本的な性格からすれば、出来ない。
もしかしたら、無意識の中に、まだやれていない何かを感ずるのかも
しれない。
あと3年、残された時間は、僅かである。

4つの目標の3つは、一応の実行をみているが、最重要のネオ湖西人
が、全くの進展なし。
まだ体力的な不足もあり、少しは、許されると思うが、10月初めからは
少しづつでも、ミニプロジェクトへの実施に取り掛かる必要がある。

更に、今世間様とつながっているのは、インターネット経由の仮想
世界、病気もあり、少しは割り引いたとしても、まだまだ、意識改革
の点で、不十分。
新しい人、新しい知恵との出会いをもっと積極的に進める必要がある。

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今月19日、iPhone6が発売されました。この製品の裏には今までと同じように、
「Designed by Apple in California, Assembled in China」と書かれているのかと思
います。
これは「アップルがカリフォルニアで商品企画して、中国で組み立てた」と
いう意味です。広く知られていますが、アップルは一部を除いて製品や部品
を自社では製造しません。世界中の多様なサプライヤーの強みを組み合わせて、
iPhoneやiPadのような商品を顧客に提供しています。

では、iPhoneは「中国製」なのでしょうか、「アメリカ製」なのでしょうか?
恐らく、どちらでもありません。このペースでグローバル化が進んでいくのであれば、
我々日本人がこだわりぬいて守ってきた「日本製」というような最終組み立て地を
示す称号は、あまり意味を持たない時代になるのかもしれません。

これは、日経ビジネスの本格的なビジネスにおけるグローバル化についての
一説である。
個人的には、これは、ビジネスに限らず、文化の面でも、言える。
地域の中で、生きると言う基本は変わらないが、強く連環して行く
世界、社会は、この志賀にも及ぶはず。
注視が必要でもある。



最近、劣化論と言う言葉が、結構メディアの中に登場している様である。
昔、良く言われた衰退論、縮退論など、イギリスをその好例として、
賑わっていた時期もある様であるが、栄枯盛衰の言葉にも、ある様に、
また、失われた20年とも言われる様に、いずれかには、万物消えゆく
のは、過去の幾多の事例から明らかなはずである。
ここで言われている劣化とは、どうも文化志向的に内向き、内向的な、
特に個人レベルで、起きていることへの危惧からの様である。
ここで、考えておかねばならないのは、劣化論の深刻度ではないか?
生活文化の成熟度が、高まれば、個人レベルでの意識は、内向的に
向かうはず。
国や社会としての明確な目標に対して、個人としての一体感が薄れて
行くのであるから。


nhk朝イチで、兄弟間のトラブルが、結構あるとの特集をやっていた。
36.9パーセントの人が、其の様なトラブルを経験しているとのこと。
我が家の息子3人は如何であろうか?
いまは、あまり聞こえないが、結婚し、人数が増えれば、相互間の
思いと利害が出てくるはず。今は、両親が一応?健在であり、表面的には
一応のまとまりがあるモノの、少し注意していると、その火種は、
燻っている。



人の生きると言うことは?
昔のがお隠居さんという言葉は、すでに、死語。
40年以上働いて、残されたのは、僅か10万円ほど、10万円でも、
多いという考えもあるが。
しかし、
其の様な境遇でも、人は生きることを選ぶ。
よく分からない。
社会の中で、自身が否定された時、自分の身を引くのも、歳を
経て来た老人の智慧なのではないか!!




昨日19日、大阪の和太鼓倶楽部のnhk放送を見た。
全員、20名以上のメンバー参加による和太鼓合奏、1年前からの
記録であったが、途中のリーダーたちの悩み、部員達との
溝の広がり、コミュニケーションの下手な若者が悩む、
人とのつながり方への難しさ、組織として、個々の想いを
1つにすることの難しさ。
会社組織でも、同じであるはずだが、経営者の想いと
リーダーシップで、表に出ない場合があるが、実は、
中から崩壊しつつある場合も多い。
和太鼓倶楽部の場合は、徹底した議論、もっとも初めは、
全くの話し合いにも、ならなかったのだが、回数を
重ねる毎に、初めは参加することさえしなかった部員も、
参加し、人との面と向かった話し合い、自分の想いを積極的に
表に出さないとつながらないことへの気付き。
年齢に関係なく、この行動の大切さを知った。


ポジティブ心理については、セリグマン他の著作で、さらに、
深く学べば、よいが、ここでは、少し意識すべき事のメモを、
幸福の五つの要素を意識したい。
いま、多くの高齢者が、悩んでいることでもある。
・仕事
・人間関係
・お金
・健康
・地域社会への貢献
特に、リタイアした人にとって、仕事、人間関係がほとんどなくなる
ことは、非常に大きい。お金は、年金があり、一応?問題がないと
言えるが、健康、地域社会への貢献は、自身の積極的な行動が
求められる。

ひとは、一日6時間以上、誰かと一緒にいると、幸せになる。
そして、幸せは、その人の人生の選択肢を広げる。
これは、拡張・形成理論として、広く認められている。

毎日3つの良い事、を書き出す。
寝る前に、その日にあった3つの良い事を書き出す手法がある。
・楽しかった事、面白かった事、仕事で上手く行った事、
大笑いした事、などなど。
なお、この3つの書き出しは、寝る前の一日の終わりに行う事が重要である。
(^-^)/ピークエンドの法則。
人は、過去の経験を喜びや悲しみの、ピーク時の印象、とエンディングの
印象だけで、判断し、記憶するという。

悲観主義は、気分だが、楽観主義は、意志である。
・不満には、感謝で対抗する事。
小さな不満などは、取るに足りないものと思う事。
大きな不満には、感謝、が大切である。
不満は、絶えず、人の周辺にある。しかし、健康な身体、支えてくれる
家族、働ける環境など、感謝の連鎖があれば、自身の幸せは、更にアップする。

多くのポジティブ心理が、推奨しているトレーニングを自身の
意識と意志を持って、実施して行く事が重要となる。

幸福度を高めるための3つのトレーニング
・嫌いな人の幸せを願うトレーニング
まずは、家族、次は友人など
・心の中に、透明なボードを置く
手っ取り早くネガティブな気持ちを断ち切る。
・理由もなく、ご機嫌レベル上げるトレーニング
ご機嫌レベルは、自分でコントロール出来る。

基本は、好きなことを夢中で、心から楽しむ、と
人生は、本当に変わる。



昨日のよるは、久し振りの映画鑑賞。NOAHというビデオであった。
所謂、ノアの箱舟の話であるが、人間の悪業を地上から全て抹殺
するために、大洪水を起こすのだが、それを神の啓示として、人間以外
の全ての動物を救うために、NOAHは、醜い石の怪物に変えられた天使
たちと共に、大きな船をつくる。
ここに、すべての生き物と共生を図る仏教と大きな違いを感じる。
キリストは、死によって、新しい世界を創生し、仏陀は、その死によって、
更なる宇宙を創る。涅槃図、そこには、死に対して、悲しむもののいるが、
静かな微笑みをたたえ得て、死に喜びさえ与える仏陀の姿が描かれている。



昨日13日、nhkのおもてなし、特集を見た。
2020年のオリンピックに関連してではあるが、チョット感じた事。
おもてなしと気遣い、親切、は違うと言う言葉が気に入った。
気遣い、親切は、人間的行動の基本であり、文化の違いはあれ、誰でも?
意識している事。おもてなしは、それをベースに、その国なり、地域の
文化や想いをキチンと伝えることにある。能動的な行動の基本である。

また、我々は、感じないが、単一化が進んだ閉鎖的な民族との意識が
参加外国人の方々の意見として出て来たのには、ややビックリ。
内部にいる人間にとって、外部から見る目は、かなり違うのだな!

見える形での料理やサブカルチャー、工芸などは、その多様性が
明確に分かるが、意識や行動の基本は、中々に難しい。
しかし、我々も、その多様性の広さと深さを感じる事が、ある意味、
高齢化縮退しつつある日本を違う形で、発展させるのではないか?




最近の花子とアンを見ていると、日本の狂気を感じる。
そして、世界の狂気の中で、日本も、大きな流れの中で、
にげられなかったのかもしれない。
69年の時は、全てを押し流してきたのであろうか!

健康寿命についての論議がある。
所謂、寿命ではない。本人が、健康だと、思う年齢が幾つか?
とのこと。そもそもは、国の財政が、厳しく、高齢者への介護
含めた財政支出を減らす事から来ている。

男性の健康寿命は、70.5歳とのこと。
そして、この寿命を伸ばす最大の要因は、社会参加をキーワード
とした個々の意識アップのようである。
ただ、男性の場合は、単に集まるような事には、ほとんど関心が
薄い。できれば、最後まで、仕事をしたいという気持が強い。
即ち、自身の役割分担を明確にして、それに、合わせた社会参加の形が
一番、望ましいようである。

私自身の目標である老醜70歳と同じ。
そして、これは、心の持ち方が大きい。この考えは、
ポジティブ心理学の基本と同じであろう。
すでに、高齢者と呼ばれる65歳以上は、3000万人以上となり、
この人々とともに、国は衰退して行くのか?
私の周辺でも、自身これから、どうすべきか?悩んでいる方々が
多い。しかし、何を、どうやれば、が分からないのである。
また、この大きな変化に対して、ビジネスも盛んになりつつある。
特に、
健康作りにポイントを置いた、健康ツアー、と呼ばれる旅行
が人気になりつつある。贅沢三昧の食事ではなく、有名観光場所
を巡るような物見遊山ではなく、自身の身体の健康と心の健康を
満喫してもらうのが、最大のポイントとの事。
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雲が3つほど、比叡の山に浮かんでいる。
朝のしじまが、ガラス越しでも感じられる。
何時の間にか、、、、、、秋のけはい。
少し先を、うすクリーム色の電車が、ビルに見え隠れしながら、
音もなく、走り去って行く。
多分、まだ眠気の残った人々が、その心地よい揺れの中で、
今日の英気を養っているのかもしれない。
何時の間にか、浮かんでいた雲がピンク色に色づいている。
目の前の高層マンションは、朝陽で、ピンクと白に輝き、
病院の廊下も、無味乾燥な白から、われわれを元気つけようと
するのか、光り輝く橙色に、その光が伸びている。
確実に、朝が訪れ、きょうもまた、平和で、新しい日々が始まる。
遠く比良の山並みも、きょうはスッキリとしたその姿を見せている。

今日もまた、新しい朝を迎える。やや薄い雲たちが、多くの空を
占めているが、比叡の山と遠く比良の山並みが重なる点は、
ややピンク色の空が、顔を出し、その上に、これも1つだけ
白い真綿の様な雲が、ポーンと浮かんでいる。
手前にある高層マンションと白い高いビルの赤い点滅の光も
、そして、その周辺に、ベタリと張り付いた様に広がる多くの
家々は、少し霞んだ空気のなかに、静かな佇まいを見せていた。

朝日の中で、老人が一人、白い病院の廊下に、黒く長い影を
落として、座っている。やや橙色がかった窓辺に向かって
泰然自若のその姿は、何やら神々しい物を感じる。
朝はまだ早い、既に外は、秋の兆しを見せ、夏の暑さは、
片隅に追いやられて行く。その少し寒さを感じる中で、彼は何を思う。
自身の病気の深さに絶望しているのか、退院を迎えはやる気持ち
抑えきれないのか、既に、退院の目処がついた私自身の気持ちを
写しているのか、廊下全体が、光り輝いている様だ。
人の心は、勝手な物だ。眼前の姿や形は、変わらないのに、
心に映る姿形は、まったく別の姿になる。

きょうは、退院の日、天界から下界へ降りて行く日である。
2ヶ月は、長い様でもあり、短くもあった。これからの
残された人生への、行動はこれからとしても、どう進むべきか!
が見えたことは、この日々を過ごさせてくれた天からの恩寵
かもしれない。
すでに、、東の空からは、強烈な陽が輝いている。
比叡とその先の比良の山並みが、明るく輝き、すでに、秋と言う
季節を迎えたことを謳歌している様でもある。

己の人生の振り返りから、今までの過ごして来た時間、それは
それで有益であったのではあるが、を何を学び、何を感じたか?
そして、残された我が時間を想う時、何をすべきか!
結論は、新しい自身の創造と行動である。
そのための目標も決めた。これからは、それらをスーローダウン
させながらも、行動し、実行して行く、今日はその出発の日である。

比良の山並みが薄赤く染まって来た。
2ヶ月ぶりの我が家から見る景色である。これも小さな薄赤い雲が1つ、
ゆっくりと流れて行く。
2階から見える東の空も、茜色の中に、少しづつ陽の光が割り込み、
徐々にその姿を変えつつある。いまは、まだその静寂(しじま)の中に、無音の
ままでいる家々の中では、すでに、今日という日の活動が始まっているのであろう。
数羽の鳥たちが、朝の食事をするためか、陽かりの先にさえずりながら、
飛んで行く。

さすが、肉体的には、足腰の衰えを感じる。2階までの階段を上がるだけで、
ガタガタと膝が泣き、その一歩の上がりは、まるで、数分間続く様だ。
老いを感じる瞬間でもあり、生きていくという決意の時間でもある。
多くの人は、肉体的な衰えを分かっているのだろが、自身が身をもって
感じるその瞬間まで、若き日の、あのハツラツとした姿が、頭の中を
駆け巡っているであろう。私自身もそうである。
家の前を車が静かに、まるで、音を立てる事が、罪であるか、如く、
進んで行く。やがて、この周りも、小さな喧騒と子供達の大きな明るさ
で、包まれて行く。お隣も、高校生の子供を送るのであろうか、ガトごと
とした音と共に、車が静かに、静かに、出て行く。その横を、何時もの
お二人が、朝のウォーキングであろうか、やや頭を前に倒し、静かな
歩調で、下に下って行く。ちょっと寒そうであるが、白い息の中に、
力を込めて。何時の間にか、わが家の猫軍団が、朝の食事を求めて、
こちらを見つめている。10個の眼が、早くご飯をくれ、言わんばかりに。
何時も、朝である。

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